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コロナ禍と自粛の100日間は「昭和史の失敗」の再演だった

コロナで滅びゆく歴史(1)

「欧米コンプレックス」が混乱の発端

「コロナうつ」の発生を懸念する記事が目立つこのごろだが、重度のうつの体験がある私も実際に具合が悪い。もっともこの異常な状況下で元気がよいのは、メディアをジャックする「貴重な機会」を掴んだ一部の(自称を含む)専門家くらいのもので、仮に緊急事態宣言が解除されたところで、自粛要請が生み出した沈鬱な世相は容易に元へは戻らない。

コロナウィルスによる日本での死者自体は欧米に比べて圧倒的に少なく、一般人に求められる予防法が通常の感染症(たとえばインフルエンザ)と大差ないこともわかってきた。それでもメディアが「未曽有の危機」として報道を煽り、あれこれの対策リストを列挙するのは、むしろ国民を「躁的」な状態へ誘導してうつを緩和するためなのかとさえ、感じることがある。

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かつてない初めての困難に立ち向かう経験は、人の心を奮い立たせるものがあるし、何より対応に失敗しても、そこまで自責の念を感じなくてすむ。しかしそれがほんとうは、「初めて」ではなかったとしたらどうだろう。少なくとも、あなたの眼にはそれが「以前の失敗の繰り返し」として映り、しかしそう訴えても、誰も耳を傾けてくれないとしたら。

2月半ばにパニックが口の端にのぼってからの約100日間を、かつて歴史学者だった私は日本近代史の走馬灯を見るかのように過ごした。あまり報じられないが、新型コロナの死亡率は北米および西欧の「先進国」で高く、東アジア・東南アジアなど中国の近隣国を含む「途上国」で低い。事前に中国から流入して免疫がついていた、BCG接種が効いたなどの多様な解釈が語られているが、本来は日本人がここまで騒ぐ必要のある病気でなかったことは確かだ。