いじめられていても、
誰にも相談できなかった

傷つかないように、あるいは傷つけられないように、先回りする。ときにその行動が裏目に出てしまうこともある。中学生になり周囲の顔色ばかりうかがっていたぼくは、案の定、一部の生徒たちに目をつけられてしまった。彼らから、いわゆる“いじめ”を受けるようになったのだ。

すれ違いざまに悪口を言われたり、根も葉もない噂を流されたり、ときには放課後に呼び出されて「態度を改めろ」と責められることもあった。弱気なぼくはヘラヘラと笑うことしかできず、心を殺してやり過ごした。これくらい大丈夫、こんなのいじめには入らない。自分で自分を騙し続けた。

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ところが、こちらがなにもしないと、いじめはどんどんエスカレートしていくものだ。あるときから、家に直接電話がかかってくるようになった。電話口の向こうから聞こえてくるのは、ぼくへの罵詈雑言と脅し。やってもいないことで責められ、「もう学校来んな」と繰り返される。そして複数人がゲラゲラ笑う声が響いた後、一方的に切られてしまう。

正直、疲弊していた。自分のなにがいけなかったのだろう。自問自答しても、答えなんて見つからなかった。

「なにかあったの?」

一度、祖母にそう訊かれたことがある。電話を切った後、泣きそうになっていたぼくを見て、心配してくれたのだろう。でも、ぼくはなにも打ち明けられなかった。事情を説明したところで、「信仰心が足りない」と言われてしまうことがわかっていたからだ。

両親に相談することもできなかった。耳が聴こえない彼らに対し、たどたどしい手話を使って、自分の置かれている状況を説明することは困難だと思ったのだ。ただでさえ、子どもがいじめを受けていることを知れば、親はショックを受けるだろう。あなたたちが愛してくれている子どもは、外で嫌われているんです。そんなこと、言えるわけがない。しかも、やさしい両親はきっと、自分たちの障害が原因だと捉えてしまうはずだ。ぼくはそんなことで彼らを傷つけたくなかった。

ぼくにできることは祈ることだけだった。神様、どうか助けてください――

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