読むこと書くことと母のプライド

母の住民票を私の家の住所地に移し、介護申請をしたときのこと。担当ケアマネジャーが所属する医療生協が近くにあり、そこをかかりつけの医療施設に設定した。このクリニック、訪問看護ステーションとデイサービスの施設を併設しており、たくさんのお年寄りが診察に訪れる。

担当の医師は、白髪のおじいさん先生だった。母を迎え入れると、ひと通りの問診、聴診。そして、追加の問診と続く。

Photo by iStock

「ご自身で、最近字が下手になったなあ、うまく書けないなあと思われたりしたこと、ありますか?」 

母は、白内障で濁った瞳を驚いたように見開いたが、その後微笑んだまま黙って首をかしげた。沈黙。先生、母をじっと見ていたが、はははと笑って「いいですよ、わかりました。これでおしまいですから、待合室にいてくださいね」と母を待合室に出した。

-AD-

診察室に残った私に先生は言った。 
お母さまは、何か社会的に活動されていた方ですね?  書いたり、教えたり、のプロでしょうか

母は結婚前、編集者として仕事をしていた。父が亡くなるまでは、書道に打ち込んでいた。読み書きにはうるさいのである。 
「そうでしょう。書いたり読んだりということにたいへんプライドをお持ちだ。だから、自信のあったことができなくなったとは、お認めになりたくなかったんですね。お答えにならなくて当たり前です」 

落涙しそうで、うなずくことしかできなかった。あの数分の会話で、母の特性を読み取ってくれたのだ。すべての医師が、このような観察眼とデリカシーをもっていてほしい。