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本人が満足していれば貧乏でもOK?「理想の平等」を考える

常識を揺さぶる「悪魔の法哲学」
「不公平だ」「他人が羨ましい」という気持ちは、誰もが持っているものでしょう。法哲学者・ドゥオーキンは、政府が平等に資源を分配する際には、このような国民の「羨ましい気持ち」に配慮するべきだと考えていました。

では逆に、本人が現状に満足していて、「羨ましい気持ち」を全く持っていなかったら、貧乏のままでも良いってこと……?


法哲学者は「平等」をどのようなものだと考えていたのでしょうか。住吉雅美氏による現代新書の最新刊『あぶない法哲学 常識に盾突く思考のレッスン』から紹介します!
 

平等に尊重されることへの権利――ドゥオーキンの哲学

人は皆、自分が他人より低く扱われることを何よりも嫌がるものだーーこの感情を重視するところから平等について徹底的に考え、論争を活性化させた法哲学者がいる。それがアメリカのロナルド・ドゥオーキン(1931~2013)だ。

ニューヨークで弁護士として活動した後、イェール大学やオックスフォード大学、ニューヨーク大学、ロンドン大学で教授として教鞭をとった。イギリス学士院のフェローやアメリカ芸術科学アカデミーの会員も務めた。輝かしい経歴をもつ人である。

このドゥオーキンは、ロールズ(本書第3章を参照)のいう原初状態、つまり人々がゼロから政治社会を作るその出発点について、ロールズよりも平等を優先的に考える解釈を与えている。

曰く、原初状態の基礎には自然的かつ抽象的な権利があって、それは1.基本的自由(思想・信仰、言論・集会・結社など)への権利と、2.「誰もが平等に配慮され尊重されたいと求める権利」である。

しかし、原初状態の人々は、特定の階級のメンバーや特定の思想、能力を持つ人々を、それ以外の人々以上に配慮し尊重するような社会をけっして望まないだろう。ということで、それらの人々は、まずは何よりも前述2つの権利のうち、2が必ず配慮されるような政治機構を作ろうとするはずだ、という。

そしてドゥオーキンはこう述べる、「平等に尊重されることへの権利は、原初状態への参加が許されるための条件である」。どんな社会であれもちろん自由権も大事だが、それよりも優先されるべきなのは政府が人々を平等に配慮し尊重することなのだというのである。

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政府が人々に対してなすべき配慮とは、人々に苦痛や挫折を感じさせないように扱うことであり、尊重とは、人々が自分で選択した生き方を貫けるようにすることである。

ドゥオーキンが強調するのは、政府は人々が、所得の高低、性別・人種の違い、技能や心身障がいの有無・程度などの事情によって、他人より劣った扱いを受けていると感じ苦しむことがないようにしなければならない、ということである。

ドゥオーキンが、前項でふれた「不当に他人よりも悪い扱いを受けたくない感情」にとりわけこだわっている意味がわかるだろう。こうして彼は、この感情にたえず気配りしながら、さらに人々が各自の自由選択に従って生きうるために必要な資源の分配の平等について考える。