コロナ禍で不自由を感じていない人は誰もいない。しかしもともと不自由を抱えている人は、さらなる不自由を抱えることになる。実際に聴覚障害の父を持った筆者が、志村季世恵さんが代表をつとめる「ダイアローグ・ジャパン・ソサイエティ」がとったアンケートの声と現状をお伝えする。

口の動きを「読んで」いた父

2011年に74歳で鬼籍に入った父は耳が聴こえなかった。正確に言えば、耳が聴こえなくなった。父は20歳までは普通に聴こえていた後天性の聴覚障害者なのだ。父はその理由を子どもたちに語らなかったが、大学生のときに病院で注射を受けて意識を失い、目が覚めたら聴覚を失っていたのだと後に知った。

20歳で突然いままで当然のようにあった能力を失った父は、話すことはできても聴くことができず、しかし手話ができない聴覚障害者だった。
子どものころからその父と暮らしていたので、聴覚障害者の子どもでありながら、私は手話を知らなかった。父は私たち家族に普通に話し、歌も歌った。私と姉がピンクレディを歌って踊る姿をビールを飲みながら見ていたし、父自身も「りんごの歌」をよく歌っていた。昔の記憶を頼りに歌うので、リズムはあっていても音は平たんになっていて、その歌を聞きながら家族みんなで爆笑していた。今から考えると残酷なのかもしれないが、父は笑う私たちを見て笑っていた。

手話がわからない父は、テニスが好きで地域仲間と週末テニスをしていた。スポーツのコミュニケーションは言語ができなくても可能であり、それによって密な関係が築けるのだということを感じていた。父と私たちのコミュニケーションのメインは「顔」だった。ジェスチャーしながら「お」「な」「か」「す」「い」「た」と大きく口をあけて言う。父は口の動きを読み、表情を見て、私が話す内容を理解していたのだ。今から思えば一緒に手話を学んでいれば、もっと社会が広がったように思うのだけれど。

口の動きと顔の表情。これが耳の聴こえない父と「会話」するためにとても重要な情報だった Photo by iStock

だから、もしその時代に今回のような感染拡大があり、マスクをしなければならなくなっていたら、どうしていただろう、と思う。

視覚障害者・聴覚障害者からの「7つの提案」

厚生労働省の「全国在宅障害児・者等実態調査」(平成28年度)によると、障害者手帳の保有者から調べる視覚障害者数は31万2000人、聴覚障害者は34万1000人存在する。

コロナ禍で、困難のもとにいない人はいないが、ただでさえ不自由を抱えた人がさらなる不自由を抱えていることは想像に難くない。また、具体的な悩みを知り、支えることは、将来の自分を救うことにもなる。いま自分が不自由さがない人だって、家族や地域のひとなど、近くにいるかもしれないし、誰でも私の父のように、いつなんどき不自由さを抱えないとは限らないのだ。

『いのちのバトン』などの著書もある志村季世恵さんが代表をつとめる「ダイアローグ・ジャパン・ソサイエティ」が4月23日~26日にかけて視覚障害者と聴覚障害者の方々165名にとったアンケートには。生の声が綴られている。その中から、「視覚障害者・聴覚障害者からの7つの提案」と題された7つの提案」をそのままご紹介しよう。