5月22日 植物学者・牧野富太郎誕生(1862年)

科学 今日はこんな日

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"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

1862年の今日、多くの植物を命名し、「日本の植物分類学の父」と呼ばれる植物学者の牧野富太郎(1862-1967)が誕生しました。

牧野富太郎 Photo by 牧野記念庭園情報サイト

土佐国佐川村(現・高知県佐川町)の酒屋の息子として生まれた彼は、生まれつき草木を愛しており、自ら「植物の精」を名乗ったといいます。

そんな富太郎は、小学校を退学して独学で植物の研究に励みました。20歳の時には、内国勧業博覧会を見物し、顕微鏡や書籍を買うために上京します。その帰路でも、日光、箱根、伊吹山などの植物を採集しました。

 

そして、23歳になる1884年に2度目の上京を果たし、富太郎は東京大学理学部植物学教室への出入りが許されます。それ以降、日本植物志編纂の大志を抱いて研究に励むようになりました。1887年には『植物学雑誌』の創刊メンバーとなり、翌年には自著『日本植物志図篇』の刊行を自費ではじめています。

そしてその翌年、富太郎は『植物学雑誌』第三巻の中で新種の植物に「ヤマトグサ」という学名をつけました。これは、日本人が初めて植物につけた学名として知られています。

これをはじめとして富太郎は相次いで新種植物を発見。世界的に知られるようになりますが、学歴がないため、その研究生活は苦しいものでした。研究室の出入りを禁じられたり、薄給で家賃が払えず家財道具を競売に出したり、多くの障害に見舞われます。

これらの障害を富太郎は乗り越え、多くの新種植物を命名しました。その総数は、およそ1500種にも及ぶといわれています。

牧野富太郎が『植物学雑誌』に登録したヤマトグサ(一部) Photo by 牧野標本館タイプ標本データベース

彼は50歳から77歳まで東大講師をつとめ、退官し帰郷したのちも採集や執筆を続け、1957年に96年という天寿を全うしました。

富太郎は多くの歌を詠んだことでも知られており、晩年の彼の充実は92歳で詠んだ二首の歌に垣間見ることができます。

・わが庭はラボラトリーの名に恥じず

・草を褥(しとね)に木の根を枕 花を恋して五十年