零戦が登場する映画、戦後の作品から選ぶとすればこの5本。左から『あゝ決戦航空隊』『大空のサムライ』『零戦燃ゆ』『連合艦隊』『永遠の0』

【戦後75年】コロナ禍のなか、日本の戦争映画史を振り返る!

ゴジラの生みの親が特撮担当した名作も

「コロナ禍」で、すっかり忘れられている感があるが、今年は戦後75年の節目の年である。さらに、日本製の航空機のなかで、史上もっとも多くの機数が生産され、もっとも有名な戦闘機でもある零式艦上戦闘機(零戦)が日本海軍に制式採用されて80年の年でもある。

筆者はこれまで25年にわたって、零戦搭乗員をはじめとする戦争体験者数百名にインタビューを重ね、関連書籍を14冊上梓、その縁で、いくつかの映画やテレビドラマ、ドキュメンタリー番組で時代考証、監修をつとめてきた。そんな目で、戦中から現代に至る「零戦が登場する映画」を見返すと、同じ時代を描きながらも、作品がつくられた時代の空気が色濃く投影されているのがわかる。コロナ禍で外出自粛が続くいま、DVDやインターネットを通じて比較的見やすい作品を中心に、(独断と偏見を交えて)その変遷をたどってみよう。

 

主役は公開直後に戦死していた

零戦が日本海軍に制式採用され、中国大陸上空で中華民国空軍のソ連製戦闘機との戦いでデビューを飾ったのは、80年前の昭和15(1940)年のこと。その後、日本は世界を相手にした無謀な大戦争に突入、大敗を喫し、さらに復興し、紆余曲折を経て、いまはコロナ禍の最中である。

80年前というと大昔の出来事のようだが、零戦のデビュー戦に参加した13名の搭乗員の一人、三上一禧さん(「零戦初空戦に参加! 101歳となった歴戦搭乗員の波瀾万丈の半生」https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59251)が、今年、103歳の誕生日を迎えて零戦搭乗員の長寿記録を更新中であることを思えば、けっして現在と断絶した遠い歴史上の出来事ではない。

その「零戦」の名が、初めて国民に発表されたのは、制式採用から4年以上が経った、昭和19(1944)年11月23日付の新聞においてである。この日の朝日新聞一面で、〈「零戦」「雷電」肉薄攻撃 海鷲戦闘機隊に凱歌〉との見出しで、21日、九州西部に来襲したB-29を海軍戦闘機隊が大量に撃墜したとの記事が掲載されているが、そこに、〈覆面脱いだ『零戦』『雷電』〉と題する解説記事がある。

〈この戦闘に参加した海軍新鋭戦闘機「零式戦闘機」および最新鋭戦闘機「雷電」の名前が初めて公にされた。「零式戦闘機」は荒鷲たちからは「零戦」と呼び親しまれてゐる。大東亜戦開戦前既にその俊秀な姿を現はしてゐたが、その真価を発揮したのは開戦以来で、緒戦このかた太平洋、印度洋各戦域に海軍戦闘機隊の主力として無敵の活躍を続けてゐることは周知の通りである。(以下略)〉

注目すべきは、「零戦」にわざわざ「ゼロセン」とルビをふっていることである。「零戦」は「レイセン」か「ゼロセン」か、戦後70余年が経っても、当事者でさえ意見の分かれるところだが(そしてもともとは「レイセン」なのだが)、当時からどちらとも呼ばれていたのだ。

しかし、零戦は、その名が公表される以前から、「海軍新鋭戦闘機」などの呼び名でしばしば新聞やニュース映画にその姿を現し、海軍省後援の戦意高揚映画にも登場していた。

なかでも代表的で、現在でもDVDなどで比較的容易に見られるものとしては、まず、当時、映画興行収入記録を塗り替える大ヒットとなった『ハワイ・マレー沖海戦』(1942年東宝。監督:山本嘉次郎、出演:伊東薫、原節子、中村彰、藤田進、大河内伝次郎ほか)がその筆頭に挙げられるだろう。

『ハワイ・マレー沖海戦』のポスター

航空兵を志願した少年が、猛訓練に耐えて、九七式艦上攻撃機(九七艦攻)の操縦員として、日米開戦初日の真珠湾攻撃に参加する。少年が兄とも慕う同村の海軍兵学校生徒は、九六式陸上攻撃機(九六陸攻)の機長となって、開戦3日めのマレー沖海戦で、英国東洋艦隊の旗艦、戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」を撃沈する。展開はスローだが、一応、ドラマとして成立している。

九七艦攻が、実際に真珠湾攻撃に参加した型ではない、などの突っ込みどころはあるが、本物の空母「赤城」が出てきて、九三中練、零戦、九七艦攻、九六陸攻など、当時の海軍機の実機がこれほど飛ぶ映像は貴重。のちに『ゴジラ』を生み出す円谷英二の特撮も、日本映画史上に刻まれよう。

『ハワイ・マレー沖海戦』で使われた、真珠湾のミニチュアセット。特撮はのちに『ゴジラ』を手がける円谷英二が担当した
『ハワイ・マレー沖海戦』より、空母「赤城」からのじっさいの発艦シーンだが、これは当時のニュース映像の流用である
『ハワイ・マレー沖海戦』の、真珠湾攻撃のシーン。ミニチュアを使った特撮である
『ハワイ・マレー沖海戦』で、雷撃機が真珠湾の米戦艦に向かうシーン。これも特撮

しかし、この映画で主人公・友田二飛曹を好演した伊東薫は、撮影後、陸軍に召集され、映画公開(1942年12月3日)直後の昭和18(1943)年1月に戦死している。これも時代の運命だろうか。