台湾のコロナ対策を賞賛する、日本の人たちに知ってほしいこと

市民運動は、多くのものを獲得してきた
李 琴峰 プロフィール

しかし、同性婚の実現といいコロナ対策といい、数年前なら考えられなかった高度な施政を今の台湾政府がやってのけていて、しかも世界から注目されるような大きな成果を上げているのもまた事実だ。

一体何が台湾を変えたのか? 2014年の「ひまわり学生運動」は大きな転換点であるように思う。そう、学生や運動家たちが国会を占拠した、あの事件だ。実はこの事件だけではない。台湾の歴史を振り返ると、市民運動が政治を動かしてきたことが分かる。

ひまわり学生運動(2014年)〔PHOTO〕Gettyimages
 

市民運動の歴史

もともと台湾は、今の中国では比べ物にならないほどの独裁国家だった。1949年から1987年の38年間、台湾では戒厳令が敷かれ、中国国民党(=国民党)による一党独裁政治が行われていた。この38年間にわたる戒厳令は、決して名誉ではない世界最長記録だ。

「白色テロ」とも呼ばれるその時代に、政治活動や言論の自由が厳しく制限され、多くの知識人が弾圧され、投獄され、処刑された。それでも民主化を望む多くの知識人が、「党外(=国民党の外で、の意)運動」と呼ばれる民主化運動を行っていた。

中でも特に有名なのが1979年の「美麗島事件」である。これは『美麗島』という雑誌社が台湾南部の都市・高雄で主催した反体制デモで、例にもれず言論弾圧に遭い、主催者を含め数十人が有罪判決を受けた。裁判の過程でむごい拷問に遭った人も多かった。デモ自体は鎮圧されたが、これがきっかけで国民の政治への関心が高まり、台湾の民主化を推し進める結果となった。

美麗島事件後、国民から民主化を求める声が高まり、やがて政権が押さえつけられないほど勢いを強めていった。1986年、政権に対抗すべく運動家たちは政府が敷いた結党禁止令を破って民主進歩党(=民進党、今の与党)を結成した。

「美麗島事件」で投獄された活動家や裁判に関わった弁護士の一部は民進党の党員となった。翌年、長い戒厳令が解除され、台湾はようやく民主化を迎えた。民進党の党員の中には、政府の要職についた人も多かった。