頭の外で起きることーーギガノベル『おおきな森』創作秘話

虚構は踊り、小説は躍動する

小説の創造、そして奇蹟

ちょっとグルグルすることを話す。私は小説を書いていないと生きている実感というのを持てないし、1日にだいたい14、5時間は「小説に関すること」ばかりしている人間なので、そういう人間がどう日々を過ごしているかを話す。

まず、書こうとしている小説について考えている日、時間がある。それから、実際に小説(長篇の場面とか、掌篇まるごととか)を書いている日、時間がある。また、すでに書いた文章(入稿前の原稿とか、雑誌掲載は終えた小説の単行本用のゲラとか)を書き直している日、時間がある。

この3つめが妙で、推敲している時間はどこかで考えている時間に等しい。要するに、

  〈書き直している=考えている〉

となる。だが、執筆というのは存外「考えながらは進まない」もので、俗に筆が走るというが、「考えていないのに書いてしまっている」状態に到達した時に、文章なり物語(の展開)なりはとんでもない質・次元に上昇しはじめる。これは要するに、

  〈考えている=考えていない〉

が生ずる、ということだ。

こういう、等号で結ばれえない要素を平然と「イコールです」と言ってしまうことが、小説の創造なのだ、とひとまず断じられる。

そして、実人生を生きるということは、小説などという「虚構」から離れて現実を生きる、のはずなのだけれども、小説などという「虚構」に没頭することで生きている実感を得られる、という奇妙な私の体感も、ここに直線で結ばれているのだなと感じる。

だいたい小説というものは、構想している(考えている)うちは作家の頭の内側にしか存在しない。いかなる派手なシーンも、そこでしか起きない。だが、書いてしまうと、それが外で起きることになる。現実化するか否か、はさほど問題ではない。活字にする、発表する、そういうことをした時に、頭の内側だけにあったものが外側に配される。

 それが奇蹟なのだ。