「ポスト・コロナ」を生きるための現代思想――「ガイア」とは何か?

人間と自然の関係を再考する
森 正人 プロフィール

存在論的問いとしてのガイア

こう言ったからといって、私は決して、だから現状維持で良いのだ、とか、科学的に実証されていないのだから嘘だと考えているわけではないと、すぐに確認しておきたい。

私自身はビニール袋使用をできるだけ避けるべくマイバッグをつねに持参し、ゴミの分別も気をつけている。もっと言うと、食品添加物の摂取を避けるために、パンを焼いたり、麺を打ったりする。つまりいわゆる「環境サヨク」と言われるような部類に入るのだろう。

しかし、環境に限らずウヨクとサヨクとに簡単に分けることなどできるのだろうか。そもそも世界はこうした二つの対立項で構成されるようなものだろうか。人新世におけるこうした二分法の不可能性を説くのがフランスの思想家、ブリュノ・ラトゥールである。

よく知られるように、ラトゥールは『われわれは一度も近代的であったことなどない』(邦訳題は『未完の近代』)で、主観的/客観的、人間/事物といった世界を二つのカテゴリーに分けて理解する態度が近代に登場しつつも、そのような区分が完全であったためしはないことを説いてきた。

その問題意識を維持しつつ、近年「ガイア」という概念を用いながら「地なるものthe terrestrial」について思想を展開している。

photo by Istock

ガイアとは、1980年代にジェイムズ・ラブロックが地球の自律性を説くために強調した概念である。一連の著作においてでラブロックは、ガイアを地球の生命圏と大気圏と海洋現象と土壌変化を含む連動的な複合システムと定義する。それはつまり、生命と環境が密接にからみ合う自己調節機能を有する。地球は生きている、こう主張するのだ。

Facing Gaia (2017)とDown to Earth(2018, 邦訳は『地球に降り立つ』として2019年12月に刊行された)の中で、ラトゥールはラブロックにさかんに言及しながら、冷戦終結後の資本・民主主義と社会・共産主義という対立軸が終結した「ポスト・ポリティクス」と呼ばれる時代におけるガイア概念の重要性を説く。

地球の状態をめぐっては、一方で開発を推し進めて地球がグローバル化する方向と、他方で環境を保護するために開発を止めてできるだけ昔の生活へ戻る方向が思考されてきた。

どちらの方向にも肯定的側面と否定的側面があり、是々非々で議論できるものではない。しかも、どちらの方向にも保守/ウヨクと革新/サヨクが関わるのであり、つまり矛盾をはらんでいるのだ。

この指摘はこれまでのラトゥールの近代性の理解と重複する。しかし近代性の議論と異なるのはここからラトゥールが二つステップをさらに踏むことである。

つまり、矛盾をはらみつつも右と左に世界が分けられることを演じていた時代が終焉を迎え、建前をすっ飛ばして直情的に人々に訴えかける「トランプ的なもの」が跋扈することの指摘であり、こうした矛盾だらけの地球への想像力に代わるものとしての「ガイア」概念の提示だ。

 

ラトゥールはガイアを、従来の生産システムとは異なるものとして理解する。生産システムというのはつまり、ある資源と方法が組み合わされれば、特定の結果や製品が生み出される、法則性を持つシステム。それは法則にのっとって延々と同じ物と者を作り出す。

そうではなく、ガイアは「生成のシステム」を持つと言う。定まった資源や方法、法則性がないのであれば、同じような物と者が再生産されるわけではない。だからといって、絶滅するわけでもない。生成とは、地上のあらゆるものが相互に制限し、依存し、重層するなかで起こる、予定調和ではない何かが発生する様を指示する。この辺りはジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの「器官なき身体」を想起させる。

関連記事