「ポスト・コロナ」を生きるための現代思想――「ガイア」とは何か?

人間と自然の関係を再考する
森 正人 プロフィール

かつて、社会学者のベックは『リスク社会』の中で、国境を越えた環境のリスクを共有することで世界市民的なるものが立ち上がる可能性を説いた。実際に環境変化によって世界市民的なものが立ち上がっていく、いるのだろうか。

見通しはまだ立たないが、ダルビーはこうした新しい地政学において「環境セキュリティ」という概念の重要性を説く。

環境セキュリティとは干ばつや水害などといった生計や家屋、健康や生命の喪失のリスクを、国内的、あるいは国際的に回避し、解決するための戦略を指す。最初に取り上げたCOPやIPCCはこうした環境セキュリティが形作られ、あるいはそれが発動する場である。

つまりこうした場では環境セキュリティの合意とプログラムが形成され、それに沿ってそれぞれの国家の法制度が整えられ、それぞれの地域や企業、工場で、場合によっては新しい機材や機械を導入しつつ、環境を改善する。グローバル、国家、地域、企業といったさまざまな地理的スケールが、環境セキュリティに基づいて再編されるのである。

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ダルビーはこれ以上踏み込むことがないのだが、これは見方を変えれば、気候やウィルスといった「自然」が行為能力agencyを持つことを示している。自然の脅威に対応するために、人間はその脅威を名指し(記号化し)ながら新しい制度を整える(物質化)。

気候変動やウィルスは「人格」や「理性」を持たない「物質」と前提されてきたが、少し考えれば人間はいつも理性的に振る舞うのではなく、自分を取り巻く様々なものに刺激されてその場その場で突き動かされている。そうであれば、私たちは「行為能力」の考えを刷新し、自然もまた人間を刺激し、環境セキュリティやコロナ対策といった「セキュリティ」を促す行為を行っているということができるだろう。

人間と自然は物質的でもあり記号的でもあり、あるいはそのどちらにも単純に還元されない「物質的-記号論的身体」なのである。

気候変動の危機というイデオロギー

たしかに気候変化によって従来の資源の分配システムが崩れることは予想されるし、だから環境セキュリティが構築される必要がある。しかし、人口増加と食糧供給のバランスを説く新マルサス主義的な前提に基づくこうした議論は、現実的には紛争が気候変化だけでなく経済的諸条件に大きく左右されて引き起こされることを覆い隠す。

つまり、環境セキュリティはある種のイデオロギーでもある。いや、環境セキュリティだけでなく、そもそも「環境」や「自然」もまたイデオロギーでもある。

フランスの思想家アンリ・ルフェーブルは『都市革命』の中で、資本主義において無料で無尽蔵の「資源」として自然が資本化されていく過程を「第二の自然」と呼んだ。あるいは、私が『英国風景の誕生』(里文出版)で見たように、イギリスでは資本主義が都市化を引き起こしていく時代、「自然」は人間の身体を労働するに足るように強化すると同時に、仕事で疲弊した精神をリフレッシュするものと考えられた。

こうした目的のため、労働者の集まる都市の中に「自然」の風景である公園parkが19世紀半ば以降に作られていく。このように人間はつねに自らの身体の外側(environ)にあるものを環境や自然といった形で想像しつつ物質的にも創造してきたのだ。自然は記号的であり物質的である。

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