(筆者撮影)

5・15事件と元エリート職員の反乱劇から考える「創価学会の未来」

組織・マネジメント論から見えること

5・15事件とは何だったのか

人は、歴史を見れば、世界がわかるという。

今から、88年前、1932年のこと。首相官邸に、事前の約束を取りつけていない海軍将校の一団がやってきた。

「問答無用、打て、打て!――」

時の首相、犬養毅が、「まあ、待て、話せばわかる」と、彼ら海軍将校を説き伏せようと声をあげる。だが、その声に彼らは耳を傾けることはなかった。首相は銃弾に倒れ、そのまま息を引き取った。世に言う5・15事件である。

5・15事件を報道する大阪朝日新聞記事

この5・15事件は、後に1936年の陸軍将校が主体となって引き起こした2・26事件と比較して、「海軍が引き起こしたクーデター」事件と捉える向きもある。

だが、約1500名もの参加者を出し、たとえ4日間とはいえ、日本の政治機能にダメージを与えた、後の2・26事件に比べると、その参加者は事件関係者総勢、せいぜい30名弱と、その規模は小さく、クーデターというよりも、今日では、軍の関与のない、事件参加の海軍将校たち個人が引き起こしたテロとして片づけられている。

なので、今日まで5・15事件が、2・26事件よりも、さほど語られることはない。わずかに近現代史研究者が書き記した研究書や新書を除いて、ほとんど目にする程度だ。

 

しかし、5・15事件が与えた歴史的意義は、「何か軍が気に入らないことがあれば軍部が大臣を出さないことで、いつでも内閣を倒す」ことができる軍部大臣現役武官制を復活させる契機となり、軍部を勢いづけた2・26事件にも匹敵する。大正時代から続いていた民主主義、政党政治に、一旦、終止符を打ったからだ。その民主主義、政党政治が、名実共に再スタートしたのは、太平洋戦争終了後、戦後のことである。

このように昭和という時代のうち、太平洋戦争前、すなわち戦前は、陸、海問わず、軍部に勢いがあった時代といえよう。だが、戦後の時代、勢いを増してきたのは軍部から一転、在野の人たちである。政治や労働運動、そして宗教だ。