1989年の近鉄バファローズ「仰木マジック」でも届かなかった、あと1勝

当時の主力・金村義明、山下和彦が語る
週刊現代 プロフィール

スポーツジャーナリストの二宮清純は、仰木が選手・コーチとして下についた二人の名監督の影響を挙げる。すなわち、三原脩と西本幸雄だ。

三原は仰木が現役時代の西鉄の監督であり、のちに近鉄でも監督、コーチの間柄だった。'74年から近鉄の監督を務めた西本には8年間、コーチとして仕えている。

「三原さんは、西鉄という野武士軍団の個性を尊重しつつ、周囲の予想を裏切るような采配を見せたいわば『知将』。一方の西本さんは、『どうにかコイツを一人前にしてやりたい』という気持ちを前面に出して、血の滲むような練習で若い選手たちを育て上げた『闘将』。一見、相反するこの二人の『情』と『理』とを同時に引き継いだ希有な存在こそ、仰木さんだったのです」(二宮)

 

ダブルヘッダー、再び

'89年のシーズン、近鉄は開幕当初からオリックスのあとにぴたりとつけ、2位をキープしていた。

ところが、夏場にはオリックスが抜け出し、一時は8・5ゲーム差をつけられる。そんななかでも、仰木は一喜一憂しなかった。

「仰木さんは『勝ったり負けたり、それが野球や』と涼しい顔をしていました。『勝率5割くらいでなんとかついていけば、チャンスは絶対にある』と」(前出・山下)

秋口に入り、ブライアントに本格的なエンジンがかかりだした近鉄は、そこから猛追。オリックスとのゲーム差を一気に縮め、同じく追い上げてきた西武と、またしても三つ巴の戦いになった。

9月終了時点で、首位西武、1・5ゲーム差の2位にオリックス、そこからさらに1ゲーム差の3位に近鉄がいた。