1989年の近鉄バファローズ「仰木マジック」でも届かなかった、あと1勝

当時の主力・金村義明、山下和彦が語る
週刊現代 プロフィール

とはいえ、練習に関しては人一倍厳しかった。

「仰木さんのノックは地獄でした。1回につき300球くらい、2時間近く打ち続ける。こっちは右足がつり、左足がつり、動けなくなってぶっ倒れる。するとバシャッと水をかけられて、ノック続行。最後は『ストレッチして体をほぐせ』と言って、自分は走って戻っていく。凄まじい体力の持ち主だった」(同前)

 

マジックの正体

こうして、個性豊かに育った選手たちを最大限に活かし、ひとつのチームとしてまとめ上げるのが、「仰木マジック」と呼ばれた独特の采配だ。

「猫の目打線」と言われたように、仰木は頻繁に打線を組み替えた。投手の起用ではときに大胆にローテーションを破り、相手チームの裏をかく。それが、ここぞという場面できっちりハマる。

「マジック」と言われると、いかにも奇策を弄するような印象だが、近鉄先発陣の一角を占めていた山崎慎太郎は、「仰木さんは徹底した『データの人』だった」と語る。

「たとえば、'89年、僕が先発で投げさせられる相手は西武と日ハムと決まっていて、かなり偏っていた。それは仰木さんが過去の成績を熟知し、相性がいいと知っていたからです。

裏を返せば、あれだけ情の深い人が、試合になると一転、とても非情になる。投手が打たれる確率が高くなったら、躊躇なく交代させる。情に流されてイニングを引っ張るようなことはしないんです」

猛練習で選手を育てる熱血ぶりと、データを駆使したクレバーな試合運び。いかにして仰木は、この2つを兼ね備えた指揮官になり得たのか。