1989年の近鉄バファローズ「仰木マジック」でも届かなかった、あと1勝

当時の主力・金村義明、山下和彦が語る

現役時代は、野武士軍団・西鉄きっての遊び人。スキャンダルを心配され、18年間コーチ稼業に専念していた男はしかし、監督の座についた途端、その類まれなる人望で、チームを闘う集団へ一変させた。

金村、山下が振り返る

「悔しさと、負けん気がないまぜになって、皆が燃えていた。あれは仰木さんと僕たちの、2年がかりのドラマでした」

'89年、近鉄が9年ぶりとなるパ・リーグ制覇を果たしたシーズンを、当時の主力だった金村義明は、こう振り返る。

普通、長らく優勝から遠ざかっているチームを再建するには、それなりの時間がかかるものだ。

ところが、仰木彬('05年・70歳没)は違った。'88年、前年最下位に沈んだ近鉄の指揮をとることになった仰木は、エースの阿波野秀幸や抑えの吉井理人、新加入の主砲・ブライアントなどを駆使して、いきなり前年の王者・西武やロッテとの激しい首位争いを展開した。

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球史に残る名場面と称されるロッテとのダブルヘッダー「10・19」を経て、'88年は惜しくも2位に終わったものの、前出の金村をはじめ近鉄の主力たちは、「仰木さんを男にしたい」とリベンジを固く誓った。そして迎えたのが、翌'89年だった。

試合で失敗をしても選手を責めず、マスコミの前で悪口は一切言わない。「放任主義」とも言われた仰木を、若い選手たちはよく慕った。