5月20日 HIV(ヒト免疫不全ウイルス)発見(1983年)

科学 今日はこんな日

地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。

"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

1983年の今日、フランスのパスツール研究所のウイルス研究者であるリュック・A・モンタニエ(Luc Antoine Montagnier、1932- )、フランソワーズ・バレ=シヌシ(Françoise Barré-Sinoussi、1947- )らの研究グループが、後にヒト免疫不全ウイルス(Human Immunodeficiency Virus : HIV)と命名されるエイズの原因ウイルスを発見した、と発表されました。

【写真】モンタニエらHIV発見研究者たち
  HIVウイルスを発見したチームの主要メンバー。左からジャン=クロード・シェルマン、F・バレ=シヌシ、L・A・モンタニエ。シェルマンは、その功績にもかかわらずノーベル賞授与メンバーから外れ、"忘れられた偉人"と呼ばれる photo by gettyimages

モンタニエは、フランス中部のアンドル県シャブリの出身で、パリ大学を卒業、パスツール研究所に籍を置いていました。シヌシは、パリ出身の女性研究者です。2人を中心とした研究グループは、エイズ患者から患者からウイルスを分離することに成功。このウイルスがエイズの原因ウイルスと判明したのです。

 

このことにより、それまで「謎の病気」とされていたエイズの診断方法や治療法の開発、感染防止対策につながることとなりました。そして2人は、この功績により2008年にノーベル生理学・医学賞を受賞することになります。

なお、同じ時期に、当時アメリカ国立衛生研究所のウイルス研究者だったロバート・C・ギャロ(Robert Charles Gallo、1937- )のグループもウイルスの分離に成功しており、モンタニエらとギャロらの間で、最初の発見者の座をめぐって激しい対立がありました。

【写真】記者会見に応じるギャロ博士
  HIVの原因についての記者会見におけるギャロ。後方の女性は、レーガン政権下で保健福祉省長官を務めたマーガレット・ヘックラー photo by gettyimages

両者の争いは、治療薬開発をめぐる特許問題もからみ、仏米両政府も巻き込んで長期化しました。1987年、当時のレーガン米大統領とシラク仏首相の間で、「米仏両者の貢献と権利は同等」ということで、政治的な決着をはかりました。

しかし、1989年に米紙「シカゴ・トリビューン」が、ギャロ博士の発見に疑いがある旨のレポートを発表して、議論が再燃します。議論の焦点は、仏・米の研究グループが使った試料ウイルスの遺伝子が近いものであったことです。そのため、米チームは発見前に仏チームから提供された試料を流用したのではないか、という疑惑が生じたのです。

最終的に、米国のギャロ博士が「自分たちが発見したと思っていたのはフランスのウイルスが混入したもの」と敗北を認めました。

それを受けて、最初の発見者はモンタニエとシヌシの仏チームである、と決着。2008年のノーベル賞で、論争は終止符が打たれました。

【写真】モンタニエとシヌシ
  L・A・モンタニエ(左)と、F・バレ=シヌシ。ノーベル賞を受賞した2008年ころ photo by gettyimages