地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。
"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。
1914年の今日、オーストリア出身で、後にイギリスに渡って活躍した化学者のマックス・ペルーツ(Max Ferdinand Perutz、1914-2002)が、ウィーンに生まれました。

ペルーツは、ウィーン大学を卒業するとケンブリッジ大学のキャヴェンディッシュ研究所(Cavendish Laboratory)で結晶学を学ぶために渡英します。当時、同研究所には、ケンブリッジ初の結晶構造学教授だったジョン・D・バナール(John Desmond Bernal、1901-1971)が副所長をしており、パルーツもその研究室に入りました。1936年のことです。
ペルーツはヘモグロビンの構造の研究に従事します。戦後、タンパク質の構造解析で、最も基本的な方法となる重原子同型置換法を考案し、それをもとに1953年にヘモグロビンの3次構造を明らかにしました。

その功績から、オックスフォード出身で研究所の同僚だったジョン・ケンドリュー(John Cowdery Kendrew, 1917-1997)とともに、1962年のノーベル化学賞を受賞しています。

さて、ペルーツの業績として興味深いのが、第二次世界大戦中に動員された「ハバクック計画」です。これは「氷山空母計画」とも呼ばれ、英国の発明家で数々の兵器を考案したジェフリー・N・パイク(Geoffrey Nathaniel Pyke、1893-1948)によって発案されました。ドイツ軍の潜水艦Uボートの脅威から洋上輸送を守るために、氷山そのものを巨大空母にする、という計画でした。
ペルーツはユダヤ系にもかかわらず敵性外国人とされてしまいましたが、恩師のバナールに推薦され、計画に参加することになったのです。ペルーツが登山愛好家であり、氷河の研究に携わったことがあることも、抜擢の理由だったそうです。
ペルーツらの尽力で、氷山空母の甲板は滑走路としての強度を出すことができ、もはや完成は目前でした。しかし、戦況が変わってUボートが脅威でなくなりつつあったことや、航空機やレーダーの性能が向上したことなどから、氷山空母は実戦に投入されませんでした。

戦後にキャヴェンディッシュ研究所に戻ったペルーツは、学位論文にタンパク質のX線解析を取り上げようとしている1人の青年を、自身の研究室に迎え入れました。青年の名前は、フランシス・クリック。彼が、ケンブリッジを訪問中のジェームス・ワトソンと意気投合するのは、その数年後、1951年のことです。