地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。
"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。
1950年の今日、第1回F1世界選手権(FIA Formula One World Championship)の初戦であるイギリスグランプリが開催されました。
終戦から5年が過ぎたこの年、レギュレーションが統一されたことで、「グランプリ(Grand Prix)」と呼ばれる複数のレースによって構成される世界選手権が可能となったのです。
初戦が開催されたのはイギリス・ノーサンプトンシャーとバッキンガムシャーをまたいだ所に位置するシルバーストンサーキットで、元は第二次世界大戦で使用されていた飛行場でした。
このレースでは当時の国王・ジョージ6世が見守る中、イタリアのジュゼッペ・ファリーナ(Emilio Giuseppe Farina)が予選1位からのポール・トゥ・ウィンを成し遂げ、見事栄冠を勝ち取りました。
彼はその後もレースに参加し、6月にベルギーのスパ・フランコルシャンで開催されたベルギーグランプリでも優勝を果たすなど活躍。その年のドライバーズチャンピオンに輝きました。
ちなみに、この年にファリーナと彼のライバルであるアルゼンチンのファン・マヌエル・ファンジオが使用していたマシンは同じアルファロメオ158で、1950年に参加したすべてのレースで1位となるなど猛威を振るいました。
この年以降、F1世界選手権は毎年開催されますが、イギリスグランプリとイタリアグランプリは毎年欠かさず開かれています。
また、日本が最初にF1世界選手権に参加したのは1964年のホンダが最初で、当時はアメリカ人のロニー・バックナムをドライバーとしていました。
ホンダの創業者である本田宗一郎は参戦当初、チームカラーとして「黄金の国ジパング」にちなんで金色を提案していましたが、南アフリカ共和国のナショナルカラーということで断念。紆余曲折の末、白地に赤の日の丸が採用されたということです。