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新型コロナ、安倍政権と専門家会議の「いびつな関係」

独立性・公開性が保たれていない…

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対する日本政府の政策には「遅い」「説明不足」「不十分」「効果が分からない」等々、様々な不満が示されている。その中でも「科学的根拠に乏しい。根拠が分からない」という不満は多くの人が感じていることでははないだろうか。

これは、新型コロナウイルスの独特な性質など様々な理由が重なって起こっているものではあろう。しかし本稿では、日本における「政治」と「科学」の関係が他の国に比べて歪である、という要因に注目し、そのことについて述べたい。

専門家会議の尾身茂副座長(左)と安倍首相〔PHOTO〕Gettyimages
 

日本は政治と科学の関係が未熟

現代社会は先端的な科学知識やそこから生み出される技術と、一般の人々の生活を切り離すことが難しくなっている。当然のことながら、政策決定にも高度な科学知識が要求される。

一方、「民主制」とは、「ごく普通の人々」が政治を行うことを含意するものであり、国会議員一般が全て高度な科学知識を持っているわけではないし、(特に議院内閣制の場合)そこから選ばれる閣僚も、高度な科学知識を持っているとは限らない。そこで、多くの国では政治家ではなく科学者から選ばれる大統領補佐官ポストを置くなど、科学と民主制の橋渡しに努めてきた。

しかし、日本は科学と政治の関係が未熟だ。科学者から選ばれた首相補佐官は置かれていないし、閣僚も政治経験の長さなどを根拠に与党の長老議員が務めるのが一般的であり、専門性はさほど考慮されない。したがって、政府中枢における意思決定に、科学が関与する余地が小さいだろうことは、外部の人間から見ても容易に想像がつく。

その弊害は、コロナウイルス対策、とくに日本政府と専門家会議の関係にも現れている。

ここで強調したいのは、まず制度設計がおかしいという話である。

例えば、イギリス政府は「科学アドバイスの原則」として、「明確な役割と責任」「独立性」「透明性と公開性」の原則を示している。透明性と公開性は Transparency and Openness の翻訳である。トランスペアレンシーとオープンネスは似た言葉だが、どちらかと言えば前者が「すべての情報が公開されていること」であるのに対して、後者が批判など外部からの介入に開かれていることを示唆するだろうか。

「独立性」はこの公開性を維持するために必要な条件でもある。英国の原則は「科学アドバイザー、その仕事に対して政治的介入から自由であるべきである」と述べている。

ところが、日本政府が専門家会議に割り振った役割は、この全てに抵触している。