新型コロナウイルスと「デジタルで闘う」科学者たち

実験科学だけが科学じゃない!
田口 善弘 プロフィール

突如、敷居が上がったプレプリントの公開

そんな中、プレプリントのアーカイブ・システムであるプレプリント・リポジトリの大手、bioRxiv(バイオ・アーカイブ。xはギリシャ文字のχ〈カイ〉)が1つの方針を打ち出した。

いわく「新型コロナウィルスの治療法や創薬の論文で、実験による確認がないものは受け付けない」。

実際、僕も2本ほど、新型コロナウィルスの論文を書いてbioRxivに送ってみたのだが、見事にはねられた。

「いや、お前の論文がダメダメだったんだろう」というなかれ。これでも一応、それなりにいっぱい論文を書いているし、昨年はシュプリンガーという大手の英語の学術書の出版社から、300ページ超の単著も出させてもらった。そして、国際的な学術雑誌のアソシエートエディタも何誌もやっている身だ。門前払いを食うほどひどい内容の論文だったとは思えない。

なぜ、はねられてしまったのだろうか?

門前払い、考えられる2つの原因

そもそも「実験による確認がない」とはどういう意味か? そう、コンピュータによるデジタルな予測である。

今、一番熱いのはリポジショニングといって、既知の薬のどれが新型コロナウィルスに効くかという問題だ。ゼロから薬を作ると10年はかかる。この状況であと10年も自粛を続けたら世界経済は死んでしまう。一刻も早く治療薬が欲しい。既存薬の転用なら明日にも使える可能性がある。副作用などの検査が済んでいるからだ。

幸いにも抗ウイルス薬はゴマンとある。このリポジショニングは、「すでに抗ウイルス剤だとわかっているもののうちどれが新型コロナウィルスに効くか?」という問題なので、まさにデジタルにアタックするのに最適なのだ。

僕が書いたのも、そういうリポジショニングに関するプレプリントで、bioRxivよりももっとマイナーな「プレプリント」というプレプリントの出版元から、すでに公開済みのものだった。

その結果、それこそデジタルに新型コロナウィルスの薬を探しました、というプレプリントがbioRxivに殺到してさばき切れなくなったために、門前払いを始めたのだろう。

【写真】寄稿数が多くなって、捌き切れなくなった?
さばき切れなくなった? Photo by Getty Images

もう1つの問題として、まだまだ、デジタルな予測は精度が低い、ということだ。

プレプリントとはいえ、プロ研究者の研究である以上、どれかは当たっているだろう。となると、名前が出た薬の買い占めや、誤用(実際は効かなかったとなると命に関わりかねない)が起きることを懸念したものと思われる。

実際、日本でも一部の薬が「新型コロナウィルスに効き目がある」といううわさがたって買い占めがおきて、本来の用途に使うだけの量が確保できない、という問題が起きているようだ。

実験が要らないデジタルなアタックは誰でもできるので、それこそ数が多く、内容が不確かとなると、bioRxivが公開に躊躇してしまったのにも同情せざるを得ない。

デジタルな生命科学研究のこれから

それでも、この度『生命はデジタルでできている』という名前のブルーバックスを出させていただいた僕としては、「デジタルなプレプリントは受け付けません」となるくらい、デジタルに生命を研究する時代になってくれたことをうれしく思っている。

そもそも、数が少なかったらそんな方針を打ち出すまでもないからだ。あえて門前払いされるようになったということは認知の第一歩だ。「無視は拒絶の100倍傷つく」とよくいうではないか。

次のパンデミックの時には僕はきっと生きていない。それでも、その時にはこうなっていて欲しいと切に願う。bioRxivのようなプレプリント・リポジトリが、こう宣言するように。

「デジタルな検討を経ていない、実験だけに基づく治療法や治療薬のプレプリントは、受け付けません」

その日はきっと近いと僕は信じている。