5月11日 碓氷峠を越える鉄道区間、信越本線が電化(1912年)

科学 今日はこんな日

地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。

"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

1912年のこの日、信越線(のち信越本線)の横川-軽井沢間が電化されました。日本の幹線における初の電化区間です。

 

この区間は古来より旧中山道の難所として名高い碓氷峠を越えるものでした。1893年、11.2kmの間に18の橋梁と26ものトンネルを建設するという難工事のすえ、鉄道が開通。

横川駅は海抜387メートルですが、峠を越えた先にある軽井沢駅の海抜は939メートル。このすさまじい高低差を登っていくため、牽引する機関車はアプト式車両となりました。2本のレールの真ん中にギザギザのあるラックレールを敷き、車両の床下に設置された歯車と噛み合わせて、急勾配の線路を登っていくというシステムです。

アプト式碓氷峠鉄道文化むらに保存されたラックレール Photo by PhotoAC

ところが運行を開始すると、トンネルが連続することで、蒸気機関車から出る煤煙が乗務員を苦しめます。吐血や窒息する者も現れたことで、機関車の電化が急務となりました。

こうして、1911年に横川駅付近に火力発電所が建設され、翌年に日本で初めての幹線電化が実現することとなります。仕様は第三軌条方式(架線ではなく給電用レールを敷設する方式)、直流600Vでした。

碓氷峠鉄道文化むらは横川駅に隣接した横川運転区跡地にある。碓氷峠で活躍した鉄道車両などを保存している Photo by PhotoAC

電化されても、碓氷峠にさしかかる鉄道はアプト式車両を連結する必要が残ります。

そのため乗客は横川駅で連結作業を待つことになるのですが、その待ち時間に売られたのが、有名な「峠の釜めし」です。1958年2月1日に発売されたこの弁当は、1人前サイズの益子焼の釜に詰められており、駅弁とは折り詰め、という常識を破った画期的な「温かい駅弁」として大ヒットしました。

その後、時速10km程度の速度しか出せなかったアプト式車両は1963年に廃止。2両1組の補助機関車を連結して客車を押し上げる方式へと変わります。

1997年、長野新幹線の開通により、多額の維持費がかかる横川-軽井沢間は廃止となります。残された遺構は「碓氷峠鉄道施設」として国指定の重要文化財となりましたが、2013年に架線の銅線や通信ケーブルが何者かに持ち去られる被害に遭っています。

現在は廃線跡を利用した遊歩道「アプトの道」を歩くことができる。案内板に記された熊ノ平駅は、1950年に土砂崩れで駅長含む50人の犠牲者を出すなどし、1966年に信号場に降格となった Photo by nimame / Flickr