2020.05.29

知って得するトリビア…徳川政権が巨額の赤字を抱えた「失敗の本質」

おもしろい経済の話(3)
長沼 伸一郎 プロフィール

徳川幕府のとった戦略

ところで戦略・戦術についてわずかでも知識を持っている人は次の原則を知っているはずである。それは機動性において勝る者は常に優位に立つということである。そのため機動性に勝る商工業が農業より優位に立つということは、戦略的な観点から見てもほとんど当然のことである。

しかし徳川政権はそれでも負けておらず、様々な手を尽くしてこのハンディキャップを埋めようと図った。さて一般的に、機動性に勝る相手に対抗するにはどうすれば良いのだろうか。

 

戦術的観点から教科書通りにやるとすれば、その最もオーソドックスな手段は次のようなものになる。要するに相手側の機動力が発揮できないような状況にもっていければよいわけで、対決する場所全体を障害物で埋め尽くしたり、狭くて身動きのとりにくい地域を最初から戦場として選んだりする、などというものがそれである。

徳川政権が行ったことも、抽象化して考えればある意味でそれに似ているかもしれない。つまり一般に新製品やらニュービジネスやらが次から次へと登場し、消費者側もそれを求めていくような社会というものは、機動性の高い者が勝者の地位を約束されている。そこで徳川政権は文明全体をそれとは逆の、機動性が発揮されにくい状況に閉じ込めることを考えた。

その第一の対策は極めて単純かつ直接的なものである。それは要するに消費の質的バラエティに制限を加えることであり、具体的にはそれはいわゆる「贅沢禁止令」などを発布して高額商品(それは新しさゆえの希少価値によるものを含む)の需要に法的制限を加え、需要開拓という面での商業の機動性にハンディキャップをつけることだった。

そして第二に、物理的な手段でも機動性に制限を加えるため、各地に関所を作るとか河に橋を架けずにおくとかの手段(もっともこちらはむしろ軍事的な理由が大きかったが)で全国の交通網を意識的に阻害し、商品の流通ができにくいようにしたことなどが挙げられる。

それがどの程度成功したかを見てみると、前者に関しては例えば表面上派手な柄の着物が禁止され、そのため庶民の側が着物の表を地味にするかわりに裏地を派手にするという手に出るなどの、一種のいたちごっこが見られており、結局最後まで成功とも失敗ともつかない状態に終始した。

それに比べると、むしろ後者のほうが遥かに重要だったかもしれない。なぜならもし交通というものを徹底して制限することが可能だったとするならば、商業を現実に抑え込める可能性が存在していたからである。

「存在していた」と書いたということは、要するにこの手段は現実にはとれなかったということなのだが、ではなぜそれができなかったのだろうか。

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