写真提供/Gettyimages、東洋経済新報社

松下幸之助と格闘した男、山下俊彦に見る黄金期を築くリーダーシップ

閉塞期の今、失われたものに学べ

トランプ大統領に爪の垢を煎じたい

指導者の真価は危機の時に現れる。そして指導者の真価とは、悪い情報に対する感度である。見たくないものを見る力である。今さらながら、指導者失格を自ら暴露したのが”フェイク大魔王”、トランプ大統領だ。

中国でコロナ感染が発生した直後の1月初め、米国の国家安全保障会議や国務省はいち早くパンデミックの危機を予見し、大都市の検疫・隔離を急ぐべしという警告を発していた。聞かなかった。「春になれば、コロナは消えてなくなる」と嘯き、CDC(疾病予防管理センター)幹部の首を飛ばそうとした。

都市隔離を断行して経済が落ち込めば、自分の大統領再選が危うくなる。見たくないものは「ない」ことにし、米国は世界最悪の感染国になったのだ。

トランプ大統領にあの人の爪の垢を煎じて飲ませたかった。

あの人、山下俊彦である。43年前、「経営の神さま」松下幸之助に抜擢され、下から2番目のヒラ取からいきなり松下電器(現パナソニック)の社長になった。「ああ、あの山下跳びの」と思い起こす読者もあるかもしれない。

山下俊彦氏 写真提供・東洋経済新報社

筆者はこのほど「神さまとぼく 山下俊彦伝」を上梓した。その生涯をたどる中で改めて痛感したのは、山下の資質がいかに希有な経営資源だったか、ということである。

「いい報告はいらん。悪い報告なら聞く」。山下の口癖がこれだった。忖度、追従の類いは一切、受け付けない。部下が社長に上げるレポートはA4サイズ1枚。報告が10分を超えると、山下は脇の時計に目をやる。報告が長引くと、時計に目をやる間隔がどんどん縮まる。居たたまれず報告者は早々に退出することになる。

山下が社長に就任した1977年のこと。日本ビクターに出向していた平田雅彦(後に松下電器副社長)が社長室に顔を出した。「平田君、何か用か。君な、いい報告だったら、いらんぜ。悪い報告なら、聞く」。平田は言った。「悪い報告です」。

当時、松下電器は外様の子会社ビクターが開発した「VHS」を松下グループのビデオ(VTR、ビデオテープレコーダー)の統一仕様とすることを決定していた。

ビデオはカラーTVの後の本命商品。そしてVHSはビクターの技術者たちが心血注ぎ、独自に完成した汗と涙の結晶だった。

ところが、松下電器サイドから「VHSは松下電器とビクターの共同開発」という話が流されている。

平田は一気にまくし立てた。「とんでもない話です。親会社だからといって、開発者の名誉まで取り上げるのか。ビクターの技術者たちの士気は消し飛んでしまいます」。社長に成り立ての山下は事情に疎かった。「そうか。調べてみる。しばらく待ってくれ」。

1週間後、山下から電話が来た。「厳重に調べた。あれは共同開発とは言えんな。今後一切、共同開発という言葉は使わせない」。のみならず、山下はビクターの役員会に出向き、深々と頭を下げた。

平田は後々まで、この時の感激を忘れなかった。「これが山下さんですよ。のこのこ、子会社にお詫びに行く。そんなことを、どこの大会社の社長がやりますか」。

この山下の「謝罪」によってビクターを盟主とするVHSファミリーの結束が固まった。
VHSは宿敵ソニーの「ベータマックス」を蹴散らし(1988年、ソニーもVHSの生産に踏み切る)、そのライフサイクルを通して松下グループに15兆円の売上げと2兆円の利益をもたらした。

 

松下電器は山下の「悪い情報を聞く」力によって圧倒的な「家電王国」の座を固めたと言ってよい。