2020.05.08
# 野球

【球界レジェンド】金村義明が選ぶエグいほどスゴかった野手とは?

動画「炎のベースボール」第11回
金村 義明 プロフィール

皆さんもう忘れておるかもしれませんけど、仰木監督が亡くなられる直前、もう一度オリックスの監督をなされたときに、ブライアントを1年だけ打撃コーチに呼んで、一塁コーチャーにしたんです。

招聘の交渉は、仰木さんが、私の携帯から直接アメリカに電話して、ブライアントに日本語でしゃべってました

「ブライアントか! ライネン、コーチ、オッケー?」とか言うので通じてました。

で、僕が代わって、カタコトの英検4級の英語で、「トゥモロー、ミスターイチハラ(通訳の市原稔さん)、コールユーね。オッケー? マネー、ツーメニメニエンね。オッケー?」とか言いながら。

オリックスは近鉄との合併の頃は人気がなく、アイディアマンの仰木さんが「よし! ブライアント呼ぼう!」ということになった。

「試合前のノックのときに、ブライアントのホームラン競争とかしよう」と。けっこう盛り上がったんですけど、覚えてる人が少ないんですよね。

まあ、やめてからもそれだけ愛されている人ですね。巨人でいったらクロマティー。クロマティーも今コーチしてますしね。阪神のランディー・バースはいまだによく日本に来ますしね。

野茂、イチロー…、仰木門下からメジャーへ

——仰木さんのすごさはどういうところでしょう?

金村: (選手の)個性を活かすというところでしょうね。「三原野球」の一番の継承者だと、本人も周りも思ってましたよね。

亡くなる前あたりは、よく「俺は人に恵まれた」と言ってました。子どもはいないんですけど、「俺には色んな子どもがいる。アメリカに行ってる子どもだけでも何人いるか」と。

仰木監督の下で育ってメジャーに行った選手は、野茂(英雄)、吉井(理人)をはじめ、たくさんいますよね。長谷川(滋利)も関わってますし。野茂がパイオニアですが、初期の頃にメジャーに挑戦した選手のほとんどは、仰木さんが関わってるんじゃないですか。野手でも田口(壮)、イチロー…。

今でもよく覚えていますが、野茂のあの投げ方も、当時の解説者たちは総スカンでした。「こんな投げ方だったら盗塁し放題だし、通用しない」と、ほとんどの方がおっしゃってました。

打者に対して、一旦完全に背中を向ける、野茂の個性的な投球フォーム

でも、通用しましたよね。仰木さんは、彼の個性を生かして、投げ方も一切変えることがなかった。

ルーキーの年、開幕してしばらく勝てなかったんですよね(初勝利は4月29日)。開幕して2度目の登板ぐらいかな。そのときに初めて怒鳴ったんとちゃいますか。「きさん(貴様)! シャキッとせんかい!」と。

そっから、びっくりするくらい勝ち始めましたよね。ルーキーの年から4年連続最多勝!

亡くなられた仰木さんの北九州の事務所兼自宅には、応接間にメジャーに行った選手たちの写真がダーッと並んでました。あれを見たときには、さすがに僕もジェラシーを感じました。

「ああ、俺のはないんやな」と言うと、奥さんが「あんたのもあるで!」って。そしたらトイレの座る横にありました。「クサい中やねえ…」って言われました。僕が横にいて、下に皆川コーチがいて、その横に神辺さんがいたのかな。トイレに座って真横、すぐ目に入るところに、僕が笑顔でピースしてる写真がありました。

仰木さんが亡くなった翌年(2006年)と次の年のキャンプ取材は、仰木さんの家で線香をあげてから、オリックスの宮古島キャンプでスタートしたんですそのときに奥さんから、「そのへんに仰木監督おるから、一緒に宮古島連れてったって」って言われましたね。

もうひとりの恩師・星野仙一監督との濃い関係にも話が及び…。続きはぜひ動画でお楽しみください。

(※本稿は動画を記事をしてまとめたものです)

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