この記事を書いている3月に私はフランス・日本でと2度の外出自粛・禁止を眼前にしている。お店からトイレットペーパーや保存の効く食べ物から品薄となっていくのは、2011年の東日本震災時を思い出させる。
当時は連絡が取れないことや先行きの不安から、「何かあったときは最後に家族が頼りになるよね」と、震災を契機に「家族」回帰が深まり、結婚を決断した人が多かったように思う。
震災もコロナ感染拡大も同じく外生的な自然事象だが、震災の時に叫ばれた絆・つながりなどは聞こえず、今回は人びとの心根や胸奥が明らかにされていく点が対照的である。
さて、私が専門として勉強している分野は経済学のうち、所得分配論というものである。特に、家族や夫婦のかたちと格差との関係に着目し、2013年に『夫婦格差社会』(中公新書)という本に成果をまとめた。これはいわば、誰がどんな人と結婚したのかを撮ったスナップショットだった。
他方、まるでムービーのように結婚後の人生を追いかけて、離婚の有無が所得、心理的、肉体的にどのような変化をもたらしたのかを見たものが、近刊の橘木俊詔・迫田さやか『離婚の経済学 愛と別れの論理』である。
詳細は本書でのお楽しみとして、本稿では迫田が主として担当した部分の略述を現況に触れつつ、離婚行動を見つめることで明らかとなったことをお話ししたい。
「結婚は資産(そして債務)の共有が伴うという意味で、それ自体が1つの平等化装置」(アトキンソン, A.B. (2015) 『21世紀の不平等』, p.29)と言うように、かつて家族のあり方によって格差は縮小されてきた。夫の収入が低ければ家計を支えるために妻も働き、夫の所得が高ければ妻は専業主婦となっていた。夫・妻それぞれの所得の差はあっても、家族単位で見れば所得の差は縮まっていた。ところが、ダグラス=有沢の第2法則と呼ばれた、この傾向は昨今見られなくなってきた。むしろ、夫の所得階層と妻の有業率の間には逆U字の関係さえ見えるほどである(図1参照)。
図1 夫の所得階級別の妻の有業率
(出所:総務省統計局「就業構造基本調査」より筆者作成)
さて、誰が誰と結婚し、所得分布にどのような効果をもたらしているかを見るのがスナップショットなら、ムービーを撮ってみると違うことが見えてくるのだろうか、というのが本書の出発点である。