すでに誰もが知っているように、現首相・安倍晋三が、星野源「うちで踊ろう」との「コラボ動画」をSNSにアップロードして「炎上」した。新型コロナウィルスへの対策として緊急事態宣言を出した直後、2020年4月12日の投稿であった。
友達と会えない。飲み会もできない。
— 安倍晋三 (@AbeShinzo) April 12, 2020
ただ、皆さんのこうした行動によって、多くの命が確実に救われています。そして、今この瞬間も、過酷を極める現場で奮闘して下さっている、医療従事者の皆さんの負担の軽減につながります。お一人お一人のご協力に、心より感謝申し上げます。 pic.twitter.com/VEq1P7EvnL
わたしはおおむね、ネット上で観測された批判、あるいは拒否反応と呼ぶべきリアクションに、感情面においては共感している。あの動画は冒涜的であった。が、それがいかに無神経であったのかについてはすでに多くの文章が書かれており、もはや多言を弄する必要はなさそうだ。
しかし、それでもなおコラボ騒動と星野源については、あらためて考える余地と価値があるように思われる。そこで本稿では上記の現象にたいして、まったく別のアプローチを試みたい。
ところで、一見してわかるように、ミュージシャンである星野源と内閣総理大臣である安倍晋三という取り合わせは、あまりにもあからさまな文化と政治の衝突であった。
はたせるかな、今回の騒動でも、「文化を政治に利用するな」という、過去にも幾度となく浮上した「文化に政治を持ち込むな」と同種の反感が噴出した。たしかに安倍動画は文化の政治利用であったし、彼(ら)の文化にたいする杜撰な態度は、現政権の政治的な杜撰さと、おそらく無関係ではあるまい。
「星野源の音楽が政治に汚された」という理解は、間違ってはいない。しかし同時に、文化は政治にたいしてそれほど受動的な存在ではないことを思い出そうではないか。むしろ現状に鑑みて、いまコラボ騒動から引き出すべきなのは、まったく正反対のベクトルをもつ、文化からの能動的なアクションであるように思われる。
すなわち、政治に文化を持ち込むのだ。
そのために本稿では、あえて政治の問題から距離をとり、ミュージシャンとしての星野源に、つまり彼の音楽にまずはフォーカスしたい。だがその軌道はやがて、政治の問題と重なり合うことになるだろう。
以下の議論では、星野源がここ数年でリリースしたいくつかの楽曲を分析する作業をつうじて、安倍晋三その人の手によって政治内へと持ち込まれた音楽を、いわばトロイの木馬に変貌させてみたい。政治を侵食するトロイの木馬としての音楽──そう、星野源は2018年に『POP VIRUS』というアルバムをリリースしたばかりなのだ。
コロナ・パンデミックの渦中にあって、あらゆる事象と同様に、星野源の音楽がもつ意味もまた急速にその姿を変えつつある。いまそれを捉える作業は、あらためて文化と政治の関係について考えるきっかけを与えてくれるだろう。
現代ビジネス編集部