グローバルでないのは
入学時期よりも教科書制度

その点日本では、約10年に1回改訂される学習指導要領が、いつ何を学ぶべきかを細かく規定し、その内容に厳密に沿った検定教科書がつくられる。その学習指導要領と検定教科書が実質的に、各種入試のいわば「出題範囲」となってしまっており、それをおしなべて教えないと、入試対策として不平等だという意味で、教員や学校に対してクレームが来る。

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勉強は受験のためにするものという強烈な刷り込みが大人にこそあるわけだ。これこそ日本の教育がグローバルスタンダードからかけはなれてしまう最大の要因ではなかったか。新型コロナ禍といういま最もグローバルな課題に臨機応変に対応する教育システムをもっていないのに、何が「9月入学でグローバル」だという話である。

だから、今回の休校に際しても、学習指導要領の予定通りに検定教科書の内容を進めることが目的化してしまい、苦肉の策として教員たちは「家庭学習で、教科書のここからここまでを読んで、対応する問題集のここからここまでをやっておきなさい」という無茶ぶりをするしかない。そんなことが自分一人できる児童・生徒は学年にかかわらずごく一握りしかいないだろう。

学習指導要領は平時に子どもたちが集まって教室で師の指導のもと学習することを前提に考案されている。緊急時のいま、それに縛られること自体ナンセンスである。どうせいつも通りの授業ができないのなら、いまだからこそできる学びに振り切ったほうが、子どもたちにとっての得るものは大きくなるはずだ。

理科の教員がウィルスと細菌の違いを説明したり、社会の教員が緊急事態宣言の法的根拠を論じたり、数学の教員が感染者数の増加のグラフを用いて指数関数について教えてもいいはずだ。英語の教材として、新型コロナウィルスに関する海外のメディアを利用する方法もある。それが双方向のオンライン授業であっても、予め撮影された映像授業であっても、文書での配信であってもいい。

「学習指導要領」は教える人でそれほど差がつかないように厳密に考えられたマニュアルともいえるが、「教室で教える」前提になる。例えば私立の学校では、休校のあと即コロナについての自宅学習を文書で配信する学校もあった。「今」のリアルな問題を活かした学びを考えるように「指導要領でなければだめ」な方法を柔軟にする必要があるのではないか Photo by iStock

しかもいまは、世界中の大人がリアルタイムで同じ課題解決に取り組んでいるレアなとき。むしろこんなときこそ、課題発見解決能力や合意形成やリーダーシップの実例として世界中の大人たちの振る舞いを観察し、「生きる力」とは何かを肌身で学ぶ絶好のチャンスではないだろうか。

実際子どもたちは、休校期間中であってもテレビやネットを通じて多くのことを学んでいる。普段学校では学べない大事なことを学んでいると言ってもいい。人類の危機に対してどこの国のどんな立場の大人たちがどう振る舞っているかということを、グローバルな視点で学んでいるのである。だとすれば、彼らにとっての良きロールモデルになろうとすることが、いま私たちにできる最高の教育だともいえる。