最優先事項は「子どもたちの日常」

全国の学校の教員がそのための事務手続きに忙殺されたら、ますます目の前の子どもたちに対するケアが手薄になる可能性が高い。それが本当に子どもたちのためになるのだろうか。この緊急事態に際して、最も優先順位が高いのは、子どもたちの日常を少しでも取り戻すことであって、学校の見た目の体裁を整えることではないはずだ。

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そもそも学校のカリキュラムや学校行事は、そのときどきの子どもの心身の発達段階にあわせて緻密に設計されている。スマホにうまくインストールできなかったアプリをあとから再びインストールし直すのとはわけが違う。学校が休みでも子どもたちは日々猛烈なスピードで成長しているというあたり前の事実を、忘れてはいけない。カレンダーを半年ずらせば以前と同じ教育ができると思ったら大間違いなのである。

逆に言えば、残念だが、失われてしまった時間は取り戻せない。その事実を受け入れてむしろ糧にする術を教えることも、大人が子どもにしてやれる教育の一環ではないだろうか。人生とは、そういうものなのだから。

問題がすり替えられている

教育関係者が「9月入学」と聞いてただちに連想するのは、2012年に検討された東大での「秋入学」構想だ。海外の大学との足並みをそろえる狙いがあったが頓挫した。

当時の東大学長だった浜田純一氏は5月2日の日本経済新聞で「いろいろな施策をギリギリまでやって、それでもうまくいかないときに、秋入学のような大胆な手が必要となる」と述べている。秋入学実現への希望はあるが、拙速な導入についてはやはり前向きではないニュアンスに読み取れる。

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もともとは休校期間中の学習の遅れをどうするかという課題を解決する「手段」の1つとして発案された「9月入学」であるにもかかわらず、いつの間にか「グローバル化」という大義名分を引っさげて、「いましかできない」という意見まで聞かれるようになった。

「いましかできない」という表現は、「もともとあった『目的』を達成するためにはこの機を逃してはいけない」という意味である。この表現が使われている時点で「9月入学」が、目の前の子どもたちのためという発想から離れ、国の制度改革のための損得勘定にすり替えられていることがわかる。

どうにかして成長し続ける貴重な時間をきちんと活かしたい。そうやって世界中で教育の対策がなされている Photo by Getty Images

手段が目的化すれば、大学入試改革の二の舞である。ただし、影響の範囲は大学入試改革の比ではない。

そもそもの話、OECD(経済協力開発機構)の「図表で見る教育2017年版」によれば、海外留学をする日本人大学生の割合は1%以下である。大学に進学しないひとも45%くらいいるので、人口比にすれば0.5%程度。それを増やすのが国の方針であるわけだが、海外留学をする大学生の割合はOECD平均でも5.9%である。そのために大学のみならず小学校までグローバルな学事暦にそろえる必要があるのか、そこも議論が分かれるところだろう。

*2020年5月5日6時に公開いたしましたが、8時の時点で一部に事実誤認があり、その個所を削除しております。ご了承ください。