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新型コロナの医療現場に、差別なく、敬意をもって人に来てもらう

連載「だいじょうぶ、あまっている」③
人が足りなくて人が亡くなるくらいなら、少しの理由があっても差別せず、「にわか仕立て」でもよいから人に来てもらおう。――喫緊の事態に迫り、ラディカルな認識の転換を促す連載、第3弾。

こんなときはむしろ「大きな話」が役に立つ

まだ新型コロナウィルスのことからです。これまで紹介してきた斉藤龍一郎さんが情報収集を続けてくれています(アフリカとSARS-CoV-2)。

アフリカは、音楽に好きなものがありますが、行ったことはないし、とくに関心があるわけではありません。しかし、中央アメリカも南アメリカもそうですが、ここのところ一日中ずっとやっているコロナ報道には出てこないなあと思います。斉藤さんの作ってくれたページを見ると、まるで報道がないわけではないことはわかりますが、やはりテレビにはまず出てきません。

当たり前だといえば、それはそうなんでしょう。人がみな、世界中のことに関心を抱くなんていうことは、そんなに健全なことでもないようにも思います。しかし、米国の大統領の顔を毎日見るよりは、他の場所のことを知ったり考えたりする方が健康なことではなかろうかと。

医療を得られないという点で、米国は、他のこれから厳しくなるのではないかという地域の方に近いのですが、しかしその国(米国)については、容易にできることをこれまでやってこなかったのがあなたの国の選挙の結果なのだから、まずは自分たちでなんとかしてよ、と言うことにします。

多くの人にとってはグローバリゼーションはいやいやながらのものです。もちろん、世界に羽ばたきたい人はそうすればよろしい。しかし多くの人はそうでもない。居たいところに居続けたいのにそれがかなわず、移民したり難民になったりします。

また地元にいて安い賃金で仕事をせざるをえない、あるいは仕事に就けない人たちがいます。

それらの人々にとって、そしてその影響・余波もあって、暮らしが苦しくなり、ときに敵意を向けてしまう「先進国」の人たちにとっても、結局、むりやりの流出を減らす、そのためにも、貧困と格差を減らす、これしか基本的な方向・方法はありません。

 

大仰な、と言われるかもですが、ただ、アフリカの債務削減の話をこんどはコロナに便乗してするのかよと思ってしまう時には、基本的なところを考えた方がよいし、そのうえでこれまでの施策が、国家を通過すると人々に益をもたらさなかったことを振り返り、よりましな方途がどこにあるだろう、と次に進む方がよいです。

すぐに実現しそうにない大きな話を無益なものと捨ておくのは、実は現実的な処世のためにもよくないです。小さなことでも、右に行くか左に行くかを考える、そのために大きな大仰な構図が役に立つのです。

このかん私が関係している障害学会が声明を出したこともあって、いくつか取材を受けて記事にしてもらったりもしたのですが、「こういう状況で後回しになりやすい〈社会的弱者〉に気を配りましょう」、みたいな話にまとめられたりします。

それはそれで間違いではないのですが、もうちょっと大きな話ではあるのだよなと思うわけです。なんでも「身近」な話にもっていかなきゃならないことはない。

むろん他方で「世界経済の危機」が語られるわけですが、こんどはまたえらくざくっとした話であったりします。なんとかならんのか。『現代思想』の5月号が「緊急特集=感染/パンデミックーー新型コロナウイルスから考える」です。まだ入手してないのですが、どんなことが書いてあるのでしょう。