「コロナ疲れ」はこれで解消、旅気分を味わえる小説『流人道中記』

著者の浅田次郎にインタビュー
浅田 次郎 プロフィール

「バディ小説」ならではの醍醐味

―乙次郎は、3250石という大禄を食む旗本ながら姦通罪を犯したという玄蕃を軽蔑し、口のききようや態度の悪さに苛立ちますが、徐々に玄蕃の武士らしい立ち居振る舞いに一目置くようになる。玄蕃は次第に、悩める乙次郎の師のような存在になっていきます。

玄蕃の35歳という年齢は、現代の常識からするとまだまだ若く感じられますが、当時は立派な壮年です。本作には玄蕃と乙次郎、二人の関係が変化していくバディ小説という要素もありますが、実は「乙次郎が語る玄蕃の英雄譚」なのです。

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古来、英雄譚とは、英雄の主観によって語られるものではなく、他者の視点によって語られるものですからね。

―それぞれの宿場で起こる騒動を、玄蕃が解決する、その鮮やかさが楽しいですね。特に芦野宿(栃木県那須町)で、盗賊の稲妻小僧勝蔵、飯盛女(宿付きの娼婦)のお栄、賞金稼ぎの野老山権十郎が繰り広げる事件の顛末は、まるで上質な一編の映画のようでした。

実は、芦野には取材に行っていないんですよ。実際にその場を見てない分、想像が膨らみ、ロマンティックな物語になっているのかもしれません。映画のようだというけれども、そう考えると玄蕃たちが泊まり、事件現場となる飯盛宿はいわば一幕の舞台装置。廊下を挟んで他人の部屋を覗き見できる構造はお話の役に立っています。

ただ、物語を登場人物の視点で考えたり、スクリーンの外から見ているのではなく、いわば「同宿している透明人間」の視点を想像して楽しめるのが、小説ならではの魅力でしょう。

 

―仙台に入り玄蕃たちは、とある敵討ちから端を発する騒動にかかずらう。本書の読みどころは玄蕃が見せる「裁き」の見事さにありますが、浅田さんは「人が人を裁く」ことの本質を描こうとしていると感じます。

敵討ちも切腹も、現代の言葉でいえば「死刑」。人が人の命を奪う権利はあるのか。それは近年相次ぐ凶悪な事件、そしてその犯人たちの行く末を見ていて、常に考えさせられる問題です。法を犯したから刑に処される。