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「死んだ母が川の向こうに…」亡くなる直前の人が語る「不思議な話」

思えば、あれが前兆だったのか

死とは何か、いろんな人が考えてきたこと

死とは一体何なのか。この答えのない永遠の問いに人は思い悩み、考え続けてきた。

たとえば、紀元前6世紀に編纂された論語を紐解いてみる。

そこには、孔子の死に対する考え方が示されている。いわく、「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らず(生き方でさえもまったくわからないのに、死に方などわかるはずもない)」。とどのつまり、孔子ですら死については「お手上げ」状態なのだ。

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死に方は、そっくりそのまま生き方の裏返しでもある。だからこそ、死を巡る考え方にはそれぞれの個性がはっきりと映し出される。

死は恐れるものではない。むしろ、歓迎するべきものなのだ。まずはそんな「肯定派」の意見に耳を傾けてみよう。

 

晩年の谷崎潤一郎は、「もし喜んで死ぬことができるならば、くだらなく生き続けるよりもずっと幸福でしょう」と語った。漫然と生き永らえることを良しとしない、カラッとした谷崎流の美学が凝縮されている。

その一方で、「否定派」の悩みはより深刻だ。田山花袋は喉頭がんに侵されて病床に伏せた死の間際、見舞いに訪れた友人の島崎藤村に対して切々と不安を打ち明けている。

「ねぇ、君。死んでしまえば、誰も知らない暗い場所に連れていかれるんだよ。それを思うと、やっぱり僕はとてもじゃないが、単純で明るい気持ちになんてなれないよ」

死んだらどこに行ってしまうのか、誰も答えを教えてくれない。怖くて怖くて仕方ない。たしかにそれは、率直で正直な思いだろう。