コロナ禍で浮き彫り、同調圧力と相互監視の「世間」を生きる日本人

企業名が晒され、感染者が差別される…
佐藤 直樹 プロフィール

一方日本人は、他人が信用できるか否かは、「身分制のルール」があるために、「世間」のなかでどういう地位や身分を占めるかによって判断してきた。これは、それを自立的に判断する能力が、日本では育たなかったことを意味する。人を見分ける能力がないことが、根拠のない情報に踊らされ、パニックを起こしやすい理由となっているのだ。

 

感染者へのバッシング

つぎに、この〈万人にたいする万人の戦い〉の状況が顕在化させたのは、感染者や家族にたいする苛烈な差別やバッシングである。たとえば、3月上旬にヨーロッパへ卒業旅行をした学生が感染した京都産業大学には、「学生の住所を教えろ」「火をつけるぞ」といった内容を含む電話やメールが数百件寄せられたそうだ。

また、4月中旬には三重県で感染者や家族の家に、石が投げ込まれたり、壁に落書きされるなどの事件が起きている。日本では、あたかも病気=悪であるとして、感染者が犯罪者のようにみなされる。そのため、責任があるとは到底思えないのに、感染者やその家族は「世間」への謝罪を強いられる。

さらに同月、愛媛県新居浜市の小学校が教育委員会の助言を受け、仕事で感染拡大地域を往来する運送業者の家庭の児童にたいして、自宅待機を要請していたことが明らかになった。あぜんとさせられるが、これなどは、感染者でもなんでもない家族の話で、いわば「コロナ感染の蓋然性」だけで差別やバッシングが起きているのだ。

もともと日本では、「みんな同じ」という「人間平等主義のルール」があるために、病にせよ犯罪にせよ、標準を少しでもはずれた者にたいする差別やバッシングが起こりやすい。いまコロナへの不安と恐怖の拡大が、感染者への差別を肥大化させている。