コロナ禍で浮き彫り、同調圧力と相互監視の「世間」を生きる日本人

企業名が晒され、感染者が差別される…
佐藤 直樹 プロフィール

店舗名の公表に喝采を叫ぶ向きもあろう。だが、行政権力が人々の憎しみを煽り、国民を相互に分断するようなことをやっていいのかと私は思う。正当な補償もなく休業を強制できるのは、「世間」の同調圧力の悪用というしかない。いずれにせよ日本では「世間」があるために、欧米のようなハードな「命令」や「罰則」は必要ないのだ。

 

人々は〈万人にたいする万人の戦い〉に叩き込まれた

そもそも新型コロナウイルスがきわめてやっかいなのは、無症状の感染者がかなりいて、気づかぬうちに感染を拡大させていることである。誰が感染しているかまったく分からないから、これが不安と恐怖を呼び込む。

人々は相互に疑心暗鬼になり、他人が信じられなくなり、〈万人にたいする万人の戦い〉のなかに叩き込まれる。これはホッブズの言葉を借用したものだが、人間は法も国家もない「自然状態」になると、お互い殺し合いになるような状況になるという意味だ。

こうした疑心暗鬼の結果生じるのは、まずもってパニック騒ぎである。日本では一時、「トイレットペーパーがなくなる」というSNSなどの根拠のない情報によって、スーパーからトイレットペーパーやティッシュが消え、いまでも品薄状態が続く。欧米でも一部でそうした動きがあったようだが、日本のように大規模なものではない。

〔PHOTO〕Gettyimages

興味深い調査結果がある。総務省『情報通信白書』(2018年版)によれば、欧米諸国に比べ日本は他人への不信感が強いという。すなわち、「SNSで知り合う人はほとんど信頼できる」「そう思う・ややそう思う」が日本は1割ほどだが、ドイツは5割、アメリカは6割、イギリスは7割あるそうだ。また、ネットで知り合う人を見分ける自信があると答えたのが、日本は2割だが、英独仏は6~7割であった。

ちょっと驚くような内容だが、欧米人が他人を信用できると答えるのは、見分ける自信と能力があると考えるからで、別に人が良いわけではない。まさにヨーロッパで11〜 12世紀以降成立した個人とは、人間関係を自立的に判断する能力をもつ者のことであった。