コロナ禍で浮き彫り、同調圧力と相互監視の「世間」を生きる日本人

企業名が晒され、感染者が差別される…
佐藤 直樹 プロフィール

日本でも最近、拘置所や留置場での弁護人以外の面会が禁止されたが、こういう話は聞いたことがない。そもそも刑務所で暴動などありえないし、受刑者の家族がデモをして、メディアに顔をさらすことなどゼッタイにありえない。

では日本では、この〈戦時〉にどう対応したか。たしかに日本でも特措法という「法のルール」はできたが、その内容は欧米のような「命令」も「罰則」もなく、都市のロックダウンもない、「緊急事態宣言」における「外出自粛」と「休業要請」であった。

〔PHOTO〕Gettyimages
 

まるで強制力のないこの政府の「自粛」と「要請」は、海外から「ゆるすぎる」とも批判された。だが意外に思われるかもしれないが、日本ではこれで必要十分なのだ。この国では「命令」や「罰則」といった法的強制力がなくとも、人々はこれにしたがう。

なぜなのか? 「周囲の目の圧力」、すなわち「世間」の同調圧力がきわめてつよいからである。日本では強制力のない「自粛」や「要請」であっても、それを過剰に忖度し、自主規制する。まわりが「自粛」し「要請」にしたがっている場合、それに反することをすれば、間違いなく「空気読め」という同調圧力がかかるからである。

これをよく示しているのが、4月24日に全国に先駆けておこなわれた、大阪府による休業要請に応じないパチンコ6店舗の公表である。公表も特措法にもとづくものなのだが、「罰則」もなく、また「命令」でもない。あくまでも「要請」であり、個々のパチンコ店がこれにしたがうかどうかは任意である。

しかし、大阪府が公表という強硬手段に出た背景には、府のコールセンターに、23日までに「休業要請の対象なのに店が開いている」「夜中まで営業している」などの通報が、なんと1283件も寄せられたことがある。つまりこの行政へのタレコミは、端的に「世間がゆるさない」ということであって、「世間」の同調圧力そのものである。「世間」には「みんな同じ」という「人間平等主義のルール」があるため、他はみんな要請に応じているのに、あの店だけ開いているのは不平等だ、と非難されるのだ。