コロナウイルス時代にデフォー『ペストの記憶』が教えてくれること

「事実を求めるための感性」の磨き方
武田 将明 プロフィール

ほかにも、本書には驚くほど既視感のある場面が頻出する。街を歩く人びとはなるべく遠くですれ違うように神経を使い、買い物では釣り銭をもらわないよう小銭をたくさん用意し、店でも客が出す金には直接触れず、酢を満たした壺に入れさせ、さらには、富裕層は早々に安全な場所へと避難するのに対し、貧しい人びとは生活のために商売を続け、次々と疫病の餌食になってしまう。

いま、『ペストの記憶』を読むことは、こうした一致に驚かされながら、バランスの取れた「正しい恐れ方」へと導かれる経験となるはずだ。本書には疫病を克服するための答えもないし、カミュの『ペスト』のような深い思索もないが、疫病が人間の身体と心に及ぼす影響については、ありとあらゆることが書かれている。

時折混ざっているあやしい逸話に適切なツッコミを入れながら、本書を読み解く作業自体が、答えの見えない事態の渦中にある私たちにとって、適切なサヴァイヴァル感覚を養ってくれるだろう。

 

事実への信頼を喪失した時代

ここで冒頭に戻りたいのだが、原発事故後の日本で、そして世界で起きたのは、「事実」への信頼の喪失ではなかったか。イギリスが国民投票でEU離脱を決め、アメリカでトランプ大統領が誕生した2016年には、「ポスト真実(post-truth)」なる言葉が流行し、まるであらゆる事実は人為的に書き換え可能であるかのごとき錯覚が世に広まった(この事態を、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』に登場する「ニュースピーク」などを援用して解説した、川端康雄氏による本誌記事を参照)。

客観的な事実などあり得ないというシニカルな雰囲気が蔓延し、世の支配的な見解に反してでも真相を追及する人間は、幼稚な正義感から世の平穏を乱す厄介者との烙印を押され、統計や文書の改竄と恣意的な解釈が黙認された。

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