コロナウイルス時代にデフォー『ペストの記憶』が教えてくれること

「事実を求めるための感性」の磨き方
武田 将明 プロフィール

しかしそのおかげで、かえって本書には筋の通った客観的な記述だけでは到達できない、恐怖の根源に迫る瞬間があるのみならず、疫病が人びとの生活にあたえる影響を、様々な視点から見ることも可能になっている。本書でもっとも印象的な場面のひとつに、ある夜、ペストで亡くなった人びとを埋葬する巨大な穴へと、馬車の荷台から遺体が投げ込まれる場面がある。

馬車には十六か十七体の亡骸が収められていたが、リンネルのシーツとかベッドの上掛けにくるまれているものもあれば、ほとんど裸のものもあった。というより、きちんとくるまれていなかったせいで、穴にぶちまけられるときに、身体を覆うわずかなものまでも剝がれてしまったのだ。こうして人びとは裸も同然で死体の山に落ちていった。

このとき、穴の周りにはH・Fのほかにひとりの男がいた。彼は妻と子供たちをペストで亡くし、その遺体を乗せた馬車の後をついてきたのだが、上記の光景を見るや絶叫し、気を失ってしまう。

19世紀に出版された'History of the Plague'(『ペストの記憶』の現代)の挿絵〔PHOTO〕Gettyimages

この場面の前後で、H・Fは繰り返しロンドン市当局による適切なペストへの対応を讃えており、すべての遺体を夜間に処理し、昼間に市民の目に触れないようにした手際のよさも高く評価されている。これは、遺体処理の残酷さを描く上の場面と矛盾するようにも見えるが、疫病を抑えるべく行政が指導力を発揮する影に、苦しみもがく市民の姿があることは、今も昔も変わらない現実にほかならない。

 

現代に通じる場面

しかも、『ペストの記憶』は市民の塗炭の苦しみだけに注目するのではなく、行政の監視をすり抜けてロンドンを脱出し、ときに悪知恵も働かせながら安全な土地に移動して難を逃れるような、たくましい民衆も描いている。このように、ひとつの物語としてまとまらないことで、かえって安易な「正解」の見つからないパンデミック下の社会をありのまま描出することに、本書は成功している。

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