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コロナウイルス時代にデフォー『ペストの記憶』が教えてくれること

「事実を求めるための感性」の磨き方

ロンドンの市民の不安

世界を恐怖の渦に陥れている新型コロナウイルスは日本にも牙を剝き、各自治体で新たに確認された感染者の数が連日報道されている。この光景に、私は強烈な既視感を抱いている。

2011年3月11日の東日本大震災後、東京電力福島第一原子力発電所が制御不能となってから、東日本の各地で計測した放射性物質の濃度が日々報道された。公表された数値への疑念が渦巻き、およそ相入れない解釈が飛び交うなか、私たちは何を信じればよいか分からず、不安に苛まれていた。

当時のことは、多くの方の記憶に残っているだろうが、私自身にとって特別だったのは、このとき偶然にもダニエル・デフォーの『ペストの記憶』(1722年。ほかに『ペスト』、『疫病流行記』などの訳題もあるが、本稿では一貫して『ペストの記憶』と呼ぶ)の新訳に着手していたからだ。

 

この作品は、ロンドン市民がオランダでのペスト流行についてうわさ話をする場面から始まり、やがてロンドンでもペストによる死者が記録されはじめる。その数は週ごとに増減するが、ある時点で人びとは気づかされる。彼らは報告書の数字に騙されていて、「もはや感染は収束する見込みがないほど広がっている」ことに。

この冒頭部に描かれているロンドン市民の様子、最初は対岸の火事のように思っていたことが急に身近に迫り、行政府の発表を心の底では信頼できず、過酷な現実に向き合わされる姿は、ここを訳していたときの自分と重なり、忘れられない刻印を脳裏に残した。今回のコロナウイルスをめぐる報道によって、このときの記憶が呼び覚まされたのである。

私は、今回のコロナウイルス感染症の患者数や死者数について、日本の政府や自治体が数値を低くごまかしていると主張したいのではない。そうした批判も見られるが、感染が終息するまで真相を知るのは困難だろう。いずれにしても、全国に非常事態宣言の発令されたいま、「(終息ではなく)収束する見込みがないほど」感染が広がり兼ねない、危険な状況にあることは間違いない。