5月 5日 さいたま新都心が街びらき(2000年)

科学 今日はこんな日

地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。

"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

2000年の今日、東京への一極集中を改善する目的で開発された「さいたま新都心」が街びらきを迎えました。

さいたま新都心 Photo by iStock

さいたま新都心は、もともと国鉄(現JR)が貨物列車の入れ替えなどに使用していた大宮操車場の跡地に造られました。

実はその当時、埼玉県には神奈川のみなとみらいや千葉の幕張のような新都市開発が進んだ地域がなかったのです。

そのため、埼玉県は政府の「業務核都市」構想に乗っかり、首都機能の分担とヒト・モノ・情報の行き交う都市空間の実現を目指します。そして1989年に、招致活動が実って国の18もの行政機関が移転することが決まりました。

 

1991年から工事がはじまったさいたま新都心は、「にぎわい」「ふれあい」「ときめき」の三本軸の交わりを基本コンセプトとしました。そして、四大ゼネコンを中心とした多くの建設会社が当時の最新鋭技術を結集させ、2000年に街びらきしたのです。

街びらきしたさいたま新都心は、さいたま新都心駅東の商業施設「コクーン新都心(現コクーンシティ)」や西の「さいたまスーパーアリーナ」などで賑わいました。当時の県知事、土屋義彦(1926-2008、県知事は1992-2003)もさいたま新都心の整備を最重要プロジェクトに定めています。

さいたまスーパーアリーナ Photo by iStock

しかし、リーマン・ショックに伴う不況や、デジタル放送用タワーの誘致で墨田区に敗れたことが原因となり、整備完了後もまちづくりの目標に課題が残りました。そのため、2010年以降、さらなる活性化を実現する新たなビジョンが模索されています。