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「にわか業者」が大量参入…中国「マスク・バブル」の驚くべき実態

1月以降に新規参入が9000社も

新型コロナウイルス(SARS-CoV2)に感染することで発症する武漢肺炎(COVID-19)が蔓延したことによって、ウイルスの吸引・放出を防ぐためのマスクは全世界で品不足に陥り、世界中の人々がマスクを求めて悲痛な叫びを上げている。

その原因は長年にわたり世界の工場として機能し、マスクの生産基地としての役割を果たして来た中国が、自国民用のマスクを確保するために国内生産されたマスクの輸出を厳しく規制したことに起因する。

中国のマスクにも歴史あり

マスクは中国語で「口罩(kou zhao)」と呼ぶ。同じく中国語でブラジャーを「乳罩(ru zhao)」とか「奶罩(nai zhao)」、あるいは「胸罩(xiong zhao)」と呼ぶ。これらに共通する「罩(zhao)」という漢字は、「覆(おお)い」とか「カバー」という意味なので、さしずめマスクを表す中国語の「口罩」は「口覆い」あるいは「口カバー」という事になる。

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中国におけるマスクの始まりは1918~20年に世界中で蔓延して猛威を振るったインフルエンザ・パンデミック(通称:スペイン風邪)に遡る。スペイン風邪が上海市に上陸して上海市内で流行が始まると、当時の中華民国政府・工部局衛生署の役人だった医師のアーサー・スタンレー(Arthur Stanley)が上海市民に2種類のマスクを推奨したのだという。

その1種類目は「サンフランシスコ・マスク」と呼ばれるガーゼを4層にした簡易なマスクで、サイズは6×3インチ(約15.2×7.6cm)、紐で耳にかけるタイプであった。一方、2種類目は「俉氏口罩(俉氏マスク)」と呼ばれるもので、当時の中国で非常に著名な医師であった俉連徳が発明したと言われるマスクだった。

俉連徳は1879年に英領マレーシアに生まれた本籍を広東省とする華人で、英国ケンブリッジ大学エマニュエル学院に留学して伝染病と細菌学を研究し、1903年にケンブリッジ大学から医学博士号を授与された人物である。彼は1907年に要請を受けて清朝の医官となり、1910年に東北地方でペストが蔓延した際には、責任者として現地へ赴任してわずか4カ月でペストを終息させた実績を持ち、現代中国医学および中国検疫・防疫事業の創始者であると同時に中国医学会の初代会長でもあった。

その俉連徳が発明したのが「俉氏マスク」であり、廉価かつ簡便に作れることから一般大衆によって受け入れられたのだった。俉氏マスクは、薬局で売られている外科用ガーゼを半分に折り、その間に縦13cm×幅20cm×厚1.6cm程度の綿を挟んでからガーゼの両端を半分に切り、その2つの切れ端の間に耳を入れて頭の後ろで縛るのである。

この俉氏マスクはサンフランシスコ・マスクと比べて安全性が高いと考えられたことで優勢となり、その後はマスクと言えば俉氏マスクを指すようになり、2003年に中国で「重症急性呼吸器症候群(SARS: severe acute respiratory syndrome)」が発生するまでの約100年間を多少の改善が加えられただけで継続して使われたのだった。

 

中国ではSARSの発生時期もマスクの需要はそれほど大きくはならなかったが、中国の富裕化に伴い、マスクは従来の俉氏マスクから、現在、我々が使用しているような形状に変化したのだった。その後は中国で大気汚染が深刻化するにつれて一般大衆がマスクをかけて外出するようになったことで、マスクは中国人にとって必需品の1つとなったのだった。