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相模原障害者殺傷事件とは何だったのか?「普通の人」植松聖との会話

相模原障害者殺傷事件が僕たちに突きつけたもの【第1回】
ドキュメンタリー映画『A』『A2』でオウム信者の日常を映し、『FAKE』でゴーストライター騒動の佐村河内守の素顔に迫り、『i-新聞記者ドキュメント-』では東京新聞の望月衣塑子記者にカメラを向けた映画監督・作家の森達也氏。3月19日、森氏は死刑判決直後の植松聖と面会した。2016年、入所中の知的障害者19人が殺害されたあの事件の深層とは何か。そして、元職員・植松聖とは何者なのか――。

植松聖との面会

制服を着た刑務官が面会室の扉を開ける。三畳ほどのスペースは中央を透明なアクリル板で区切られていて、こちら側にパイプ椅子が3つ置かれている。月刊「創」の篠田博之編集長が右側の椅子に座り、僕はその左横に座った。

ほぼ同じタイミングでアクリル板の向こう側の扉が開いた。年配の刑務官とともに入室してきた植松聖は、立ち上がりかけた僕に視線を送ると小さく頭を下げた。右手の小指には包帯が厚ぼったく巻かれている。初公判のときに噛み切ろうとした小指だ。

写真や報道のイメージからは何となく手足が長くて大柄な男をイメージしていたけれど、現れた植松は思っていたよりもずっと小柄だった。

「森さん。初めまして」と先に言ったのは植松だったと思う。「お忙しいのにありがとうございます」と礼の言葉が続いた。立ち上がった僕も、「面会を了解してくれてありがとうございます」と頭を下げた。植松の横に座った年配の刑務官は、小さな机の上に紙を広げて、会話の内容を記録するためのペンを手にしている。

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許されている面会は一日に一回。そして数は三人まで。これが拘置所のルールだ。通常の場合は事前に、手紙などで当人と面会の約束を取り付ける。そのうえで日取りを決めて、拘置所を訪ねて面会する。でも今回、僕はその手順を踏んでいない。時間的にその余裕がなかったのだ。

なぜなら面会することを思いついたのは、彼に死刑判決が下された3月16日(一審判決公判)の翌日だ。もしもこの判決が確定したら、もう面会はできなくなる。そして死刑判決だとしても控訴しないことを、以前から植松は何度も言明している。ならば死刑判決が確定する3月下旬以降は面会できなくなる。もしも会うのなら今しかない。

もちろん、そう思うのは僕だけではない。現状では多くのメディア関係者が面会を求めて順番待ちであることは聞いていた。つまり(手紙を書くなど)普通に手順を踏んでいたら、ほぼ間違いなく面会が実現する前にタイムアウトになる。

そもそもはもっと前の段階で、彼に面会することを思いつくべきだったのだ。ならば手紙のやりとりから始めていたはずだ。でもつい最近まで僕は、彼と会って話したいと思わなかった。もう少し正確に書けば、その必要を感じなかった。

 

なぜなら起訴されて以降の彼は、メディアや識者など多くの面会依頼に対して、とても積極的に応じ続けていた。基本的には断らない。だから多くの雑誌や新聞で、面会時の彼の様子や言葉を読むことができた。僕も連載執筆者の一人である「創」でも、篠田編集長が面会したときの様子だけではなく、植松から編集部に頻繁に届く手紙やイラストを、ほぼ毎月のように掲載していた。