現在の社会の閉塞感に中国・武漢から騒動が始まった新型ウイルスが影響していることは否定できない。「緊急事態宣言」で「外に出るな」「他人と接触するな」「行動を抑制せよ」と言われ続けていれば「挑戦しよう」という気持ちになりにくいことは容易に理解できる。
しかしながら、そのような中でも色々な人々がいる。例えば、
1. 世の中の大勢に従って、ただじっとしている
2. ただ悲嘆にくれている
3. じっとしているだけでは退屈だから、やたらに文句を言ったり、他人を非難したりする
4. 困難な状況を受け入れながらも、打開策を見つけるために奮闘している
というような人々は読者の人々の周りにもたくさんいるであろうが、このように並べて客観的に考えると4がもっとも望ましい態度だと思える。
私がジーザス(イエス・キリスト)を偉大な人物だと思いながらも、キリスト教(カトリック)に批判的である理由は、12月13日の記事「ローマ教皇に言いたい、バチカンこそが難民を受けいれるべきです!」などで述べてきたが、そのキリスト教徒たちが良く使う言葉に次のようなものがある。
ハリウッド映画などで、主人公が困難に直面した時、「神様、私に変えられるものを変える勇気と、変えられないものを受け入る冷静さをどうかお与えください」と祈るのだ。
この言葉は、リクルート創業者・江副浩正氏の「自ら機会を創りだし、機会によって自らを変えよ」とともに、長年にわたる私の座右の銘でもある。
変えられないことは受け入れるしかないが、その変えることができない困難が自らを成長させる。また、変えることができる部分を変えるよう努力することがさらなる成長を促し、状況を打開するのだ。
そのためには「前に進もうという勇気」が必要不可欠であり、「変えられないことに執着」したり、「変えられることを変えようとしない怠惰」は禁物だ。