コロナ危機で露呈…日本政治は「家族」への想像力が貧しすぎる

世帯主への給付なんてありえない
森山 至貴 プロフィール

だからこそ、この政策が想定していない家族を生きる人にとっては、マスクを配るという取るに足りない(ものでしかないだろう、やはり)政策ですら傷をもたらすものになる。

たとえば同居している同性カップルである。さんざん「そんなものは正しい家族のあり方ではない」と非難され、同性婚すら認められないにもかかわらず、かといって配られるマスクは4枚ではなく2枚で、「こんな時だけ1世帯扱いかよ」と憤れば「いや、一つの住所に2枚配っているだけですから」とはしごを外される。脇を見れば「家族の人数が多い」「2世帯同居」の家族などへの対応は予告され、自分たちも2世帯だが、2人暮らしなら人数が少なすぎて対象とはならないだろうと嘆息する。

家賃負担を減らすためにルームシェアしている学生やフリーター、非正規労働者の中にも同じ落胆や失望を抱える人がいるだろう。想定されている家族のかたちからこぼれる者にとっては、そういったひとつひとつの経験は、新型コロナウィルスそのものに対する恐怖や不安と同じように精神に堪えるのである。

このように、今回の新型コロナウィルス対策は、政治がどのような家族・世帯を典型的なものとして想定しているのか、その裏面として、そこからこぼれ落ちる人たちへの想像力をいかに欠いているかを明らかにするものでもある。

 

「10万円給付」政策のヤバさ

象徴的なもうひとつの事例が、1人あたり10万円が給付される特別定額給付金(仮称)制度だ。4月21日現在発表されている概要によると、1人あたり定額の給付であるにもかかわらずこの制度においては「世帯」がきわめて重要な役割を果たしている。なぜなら、この制度の「受給権者」は世帯主だからだ。

「世帯主がまとめて受け取ると、かりに世帯主がDV夫(妻でもかまわない)だった場合、自分で使い込むという新たな経済的DVが発生してしまうから」という懸念がまっさきに思い浮かぶが、それだけではない。そもそも、世帯主以外の人間、多くの場合は妻や子どもが、自分に給付される金額を自分で請求する権利すらない(か、少なくとも想定されていない)のだ。