コロナ危機で露呈…日本政治は「家族」への想像力が貧しすぎる

世帯主への給付なんてありえない
森山 至貴 プロフィール

「マスク配布」から見えること

家族は新型コロナウィルスをめぐる政治の要である。そのことをもっともよく示すのが、関連して用いられる「世帯」という言葉である。

ここで問題。「新型コロナウイルス感染症緊急経済対策」(4月7日閣議決定)の決定により、どのような世帯にマスクが2枚ずつ配布されることになったか、知っているだろうか?

「どのようなもなにも全世帯だろ」と思った読者のみなさん、申し訳ない。これはそもそも問題が悪いのだ。私も指摘されて気づいたのだが、国の方針によれば、マスクは「世帯」に配られるのではない。一つの「住所」につき2枚配られるのだ。厚生労働省の行政文書のどこを見ても、書いてあるのは「全戸配布」という表現ばかりである。

だから、2世帯以上がひとつの住所に住んでいる場合でも、マスクは2枚しか届かない。配布枚数決定と送付のコストを考えての判断ではあろうが、必要な人にマスクが届かない事態が頻発することは間違いないだろう(そもそも人々が必要としているのはマスクなのか、という疑問もあるが)。

写真はイメージです〔PHOTO〕iStock
 

しかしここで考えたいのは別の問題だ。この政策、本当に「住所」だけに関係していて、「世帯」や「家族」のあり方は関係ない、と言えるものなのだろうか。実は、配布されたマスクの裏面にはQRコードを使って「よくある質問と回答」のHPに誘導する文面があり、「2世帯同居の方など」もそこに誘導される。

しかし実際にHPを見てみると、書いてあるのは「家族の人数が多く、2枚で足りない場合」の、「不足する世帯への対応」についてだ。「戸(住所)」の話が「世帯」や「家族」へと横滑りしているのがおわかりだろうか。

「1世帯2枚になっていないではないか」という意見をかわせるよう厳密さを期しながらも、「住所」を用いた政策は、ゆるやかに「世帯」や「家族」に軟着陸させられ、人々の暮らしとの接点を形成する。やはり家族はここでも政治の要になっているのだ。