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# 歴史

「お好み焼き」の源流は「あの偉人」が作ったお菓子にあった

信長、秀吉とも関係の深い、あの人です

千利休が発明した「ふの焼き」

千利休といえば、言わずと知れた日本で一番有名な茶人だ。織田信長や豊臣秀吉に仕えていたことでも知られている。

戦国時代、利休は最先端の茶人として知られており、新しいもの好きだった信長は特に重宝した。戦しか知らないような武士たちに教養をつけさせるため、茶道を学ばせたという。秀吉からも信頼を勝ち得た利休は、政治の世界でも発言力を高めていくほどになった。

千利休の何がすごかったのか。それは彼が数々の発明をしたからだ。もっとも有名なのは「侘び茶」と呼ばれる茶の様式を完成させたことだろう。

 

当時の茶道は、高価な茶碗や煌びやかな茶室を用意することが主流とされていた。しかし、彼は派手な演出を一切そぎ落とし、お茶そのものを楽しむスタイルに変えた。

それだけではない。彼は「ふの焼き」という茶菓子も発明したとされている。小麦粉を水で溶いたものを平鍋に入れて薄く焼き、味噌を塗って丸めた食べ物だ。利休は自身が開く茶会で何度もふるまっていた。

とらや HPより

この「ふの焼き」が、形を変えて私たちに広く知られた食べ物になっていることをご存じだろうか。お好み焼きだ。

味噌を入れるだけだった「ふの焼き」は、江戸時代になると餡を巻いて食べるようになる。これは「助惣焼き」と呼ばれた。明治時代になると、助惣焼きが「もんじゃ焼き」として大流行する。そして昭和初期、大衆にも洋食文化が花開き、ソースが使われるようになって「お好み焼き」が生まれたというわけだ。

いまや、お好み焼きは地域ごとに具材や作り方が異なるほど日本に浸透した。

生地と具材を混ぜてから鉄板で焼く「大阪風」と、生地を鉄板に薄く延ばしてから具材を載せる「広島風」とで、どちらが主流派か、論争が起きているほどだ。小麦粉と味噌だけの茶菓子が、ここまで進化するとは考案者の千利休も思わなかっただろう。しかも「対立」まで起きている。

シンプルを志向した彼が生きていたら、「なんでやねん」と突っ込むに違いない。(介)

週刊現代2020年4月11・18日号より