なぜフィリピンの人々はいまだに日本の特攻隊員に敬意を払うのか?

最初の特攻隊が出撃した基地への旅
神立 尚紀 プロフィール

日本軍と戦った恩讐を越え

ガイドもつけない、行き当たりばったりの旅。マバラカット西と東、両方の記念碑に詣でた私たちは、続いて、スマートフォンで見つけた「バンバン歴史博物館」に向かった。

 

バンバンの地には、特攻作戦の渦中、第一、第二航空艦隊司令部が置かれていたが、ここがどんな博物館なのか、予備知識は何もない。着いてみると、入口には「CLOSED」の札が出ている。どうしても見学したかったわけではないが、一応、念のためノックしてみると、ドアが開いて男性が訝しげに顔を出した。そこで和彦さんが、

「突然訪ねて申し訳ない。じつは私の父が戦争中、この地にいたので寄ってみました」

と言うと、男性が、

「お父さんの名前は?」

と聞き返す。

「父の名前は門司親徳です」

和彦さんが答えたとたん、男性は大きく目を見張り、心底驚いた表情を見せた。

バンバン歴史博物館(撮影/松井雄希)

この博物館の館長を務めているロニー・デラクルス(Rhonie Cauguiran Dela Cruz)さん(50歳)。1999年に設立されたバンバン歴史協会(Bamban Histrical Society)の会長を務めている。2000年には1年間、勤めていた日系企業の技術研修のため日本に滞在したことがあり、休日には大磯の門司親徳氏邸を何度も訪ねて話を聞いたという。門司氏は、

「バンバンで実際に起きたことを記録することはフィリピン史研究にとって重要。日本の戦没者への供養にもなる」

と熱心に語る、このフィリピン人青年に目をかけ、デラクルスさんも門司氏を「パパ・モジ」と呼んで慕っていたそうだ。

デラクルスさんは目を丸くしたまま、

「パパ・モジの息子さんが来てくれたなんて信じられない! 彼は偉大な人でした。この博物館ができたのもパパ・モジのおかげなんです」

と、興奮気味に言った。

デラクルス館長が「パパ・モジ」と呼ぶ、門司親徳氏(右写真撮影/神立尚紀)
バンバン歴史博物館長ロニー・デラクルスさん(左)と、門司和彦さん(一航艦副官門司親徳氏長男)

和彦氏は知る由もなかったが、「パパ・モジ」こと門司親徳氏は生前、ここバンバン歴史博物館にも援助を続けていたのに違いなかった。

思わぬ縁に驚きながら、デラクルスさんの案内で館内を見て回る。入口を入って最初の細長い展示室の壁面には、この地で戦い、命を落とした日本、アメリカ、そしてフィリピンの人々の肖像写真がズラリと並び、展示ケースにはそれらを補完する形で、飛行機の模型や実物の銃弾、ヘルメット、日本軍が使用した信楽焼の地雷などがおさめられている。そのなかに、若き日のデラクルスさんが門司親徳氏と一緒におさまった写真もあった。

壁面に飾られた写真のなかには、特攻隊の最初の指揮官・関行男大尉や、関大尉の敷島隊を直掩した西澤廣義飛曹長ら日本人の姿もあれば、デラクルスさんの祖父や伯父の遺影もある。

「私のおじいさんと伯父さんは、抗日ゲリラとして日本軍と戦いました。でも私は、祖国のために戦った人は等しく尊敬します。この博物館で私は、日本人とアメリカ人、フィリピン人を平等に扱いたい。それが歴史を学ぶことです。そしてそのことが、互いの友好にもつながると信じています」

 

恩讐を超えて、ニュートラルな視点に立とうとするデラクルスさんの言葉は重い。先ほど立ち寄ったクラーク博物館と比べて……などと言うのは野暮であろう。日本で戦争の歴史を扱う博物館にも、これほど公平な姿勢で運営されている施設はなかなか見当たらないのではないか。私設の小規模な博物館であるからこそ、館長の考えが展示の隅々に行きわたるのかもしれない。

最初の展示室から中庭に出ると、フィリピン人抗日ゲリラたちの集合写真が大きく伸ばされて飾られ、銃や撃墜された飛行機の部品など、さまざまなものが置かれている。

バンバン博物館の中庭に飾られている、フィリピン抗日ゲリラの集合写真

デラクルスさんの説明は驚くほど正確で、日本側の動きや人名、その人がどんな人かなども、本を何冊か暗記したのではないかと思うほど詳しかった。

第二展示室の入口には、日本とフィリピン、アメリカの国旗が掲げられている。展示室の横はオフィスになっていて、つけっぱなしのテレビには、NHKの大相撲中継が流れている。無観客で開催された大阪場所である。

「相撲は好きでいつも見ています。観客がいないのは不思議な感じですね」

と、デラクルスさん。

バンバン博物館の第二展示室前には、日、比、米三国の国旗が掲げられていた
バンバン博物館第三展示室にて。左から門司和彦氏、デラクルス館長、筆者、NPO法人零戦の会事務局長・高橋氏(撮影/井上達昭)

第二展示室には、日本の零戦搭乗員や特攻隊員の写真が、解説つきで並び、飛行機の模型などが展示されている。そのなかに、門司親徳著『空と海の涯で』(光人社NF文庫)と、拙著『特攻の真意』(文藝春秋)があった。

『空と海の涯で』は、東京帝大を卒業後、短期現役主計科士官として海軍に入り、真珠湾作戦にはじまって南はニューギニア、西はインド洋、さらには特攻作戦まで、まさに空と海の涯で戦いを経験した門司氏の自叙伝である。「パパ・モジ」とデラクルスさんの関係から言えば、この本があるのはわかる。

だが、『特攻の真意』が刊行されたのは門司氏歿後で、誰かが届けない限り、フィリピンに渡ってくるとは思えない。飛び入りで訪ねた異国の博物館で、まさか自分が書いた本と再会しようとは思わなかった。