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野球界から暴力が消えないワケ…「監督崇拝」という危うさ

宗教学者・島田裕巳が語る

「野球」と聞くと暴力的な指導を連想する人も少なくないだろう。なぜそうした指導がまかり通ってしまうのか。『野球と暴力 殴らないで強豪校になるために』(イースト・プレス)を上梓したスポーツライターの元永知宏氏が、野球好きとしても知られる宗教学者の島田裕巳氏に話を聞いた。

どうして暴力がなくならないのか

野球というスポーツのまわりには、いまだに暴力の影がある。監督やコーチによる暴力や暴言、厳しすぎる上下関係……。もし、このふたつが勝利をつかむために必要なのだとしても、リスクのほうが多いことは誰にだってわかるだろう。

選手への暴力や暴言が発覚して、指導者が謹慎処分を受けたり、その職を解かれたりする可能性があるからだ。部員の非行やいじめによって、チームが活動停止処分を受けるところも少なくない。

百歩譲って、暴力を効果的に使うことが勝利への近道だったとしても、あまりにも分も悪い勝負だと私は思う。それでも、監督やコーチが暴力を懐に忍ばせて指導を続けるのはなぜなのだろうか。

 

野球の指導者がいまだに暴力的な指導から抜け出せないのは、個人の資質だけのせいではないのかもしれない。野球というスポーツの特殊性を考えなければ、いまだに暴力が残ることの説明がつかない。

野球好きでもある宗教学者・島田裕巳に、野球と暴力との関係について聞いた。

「宗教界にも暴力は存在します。曹洞宗では1年間、大きな寺で修行をしないと僧侶の資格が与えられない。入門を志願しても簡単に受け入れてもらえず、殴られたり蹴られたりするそうです。修行が始まったら始まったで厳しい生活が待っていて、たとえば食事の作法を間違えると、かなりキツくやられる。この1年目のしごきに耐えると、今度は迎える側になる。この禅の道場のやり方が、日本の軍隊に伝わったという説もあります」