日本社会は「巨大な中学校」のよう…コロナ危機で克服すべき3つのこと

だからこの国は衰退の一途をたどってきた
内藤 朝雄 プロフィール

日本の時間あたりの生産性は、OECD36カ国中21位(下資料図8)、主要先進7カ国中の最下位(下資料図9)だ。

日本生産性本部「労働生産性の国際比較2019」より
日本生産性本部「労働生産性の国際比較2019」より

さらに近年貧困がひろがってきた。子どもの貧困率はすさまじく、日本はもはや先進国とはいえないといってもよい状態になってきていた。

新型コロナウィルスが現れなくても、日本は破滅の坂をころがっていた。それにもかかわらず、ゆでがえるのように、何も変えようとしてこなかった。

それでは、貧乏になっても人が幸せに暮らす社会であったか。そうではない。

 

日本社会=「大きな中学校」

日本は1945年、アメリカとの無謀な戦争に完敗することによって、全体主義国家であることをやめた。日本国憲法のもと、国のレベルでは、自由な社会の体裁を整えてきた(近年それが破壊されつつある。詳しくは『世界が警戒する日本の「極右化」〜私たちはいま、重大な岐路にいる』を参照されたい)。

だが、戦後の日本社会は、学校と会社を基体とする中間集団全体主義社会になった(中間集団全体主義について詳しくは拙著『いじめの構造』を参照されたい)。他の先進諸国の人々が目撃すれば「狂っている」と思うような人格支配が学校と会社の「あたりまえ」の常態になった。人間存在は深いところから集団のモノでなければならないという生き方が、学校と会社の日常生活のなかで細かく強制されてきた。

学校については、筆者が講談社現代ビジネスの論考で何回も書いてきたとおりである。企業が従業員の人格・態度・感情まで企業のものにしようとする支配は、小学校や中学校と同様のものである。日本は社会全体が、いわば「大きな中学校」なのである。

このような日本社会のあり方は、独特の奴隷的な心理生活を一人一人に運命として強いるものであり、改善は困難であった。