このままでは「コロナ後」も、危機的な「パンデミック」は繰り返される

世界はオルタナティブへ向かえるか
土佐 弘之 プロフィール

入国拒否が当たり前になった世界

差別主義ということで言えば、国籍による差別も顕在化している。現在のパンデミックが、グローバリゼーションの意図せざる一つの帰結である以上、感染拡大を止めるためには汚染地域を隔離するとともに感染拡大を止めるために人の移動や接触を極力止めるのが有効な手段であることについては、多くの人が同意するところであろう。

しかし、今や世界中で、2週間隔離の条件付きではあるが自国民の帰還は認める一方で外国人の入国はトランジットであっても完全拒否するということが当たり前のように行われている。また国際空港そして国境が封鎖され外国人が出国できずにいるといった事態が多く発生している。

政治思想の分野では、国家の非常事態(≒例外状態)で決定を下す存在を「主権」とするが、ある意味で、「例外状態を決める主権の所在地は依然として国家にある」ということを、ウイルスがあらためて鮮明にしたとも言えよう。

 

そうした例外状態の究極的なものとしてフィリピンのケースが挙げられる。まず外出禁止令を守らなかったとされる若者が動物用の檻に入れられたなど数多くの人権侵害の事例が報告されている*12。またドゥテルテ大統領は4月1日の記者会見で、「感染予防策として打ち出した自宅待機措置を破り抵抗した場合には警察などによる射殺も辞さない」と警告し、その翌日、マスク着用を阻んで暴れたとされる男が警察官によって実際に射殺された。

ドゥテルテ大統領〔PHOTO〕

この事例が示していることは、防疫体制に協力しない者は「人類の敵」として容赦なく標的殺人の対象となる場合があるということであり、対テロ戦争の一齣を想起させる。換言すれば、それは、ポピュリズムを梃子に三権分立を壊しながら行政国家化が進められた延長線上、パンデミックという例外状態を奇貨として仕掛けられたディストピアと言ってもよいだろう。

イタリアの思想家ロベルト・エスポジトの着眼点にヒントを得ながら別の見方をするならば、それは政治共同体の過剰な自己免疫反応の暴走状態とも捉えることができよう。