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このままでは「コロナ後」も、危機的な「パンデミック」は繰り返される

世界はオルタナティブへ向かえるか

ナイーブな「人間中心主義」

3月17日、新型コロナウイルス対策を話し合うG7首脳テレビ会議後、安倍晋三首相は、首相官邸で、次のように述べた。

「人類が新型コロナウイルスに打ち勝つ証しとして、(東京オリンピックを)完全な形で実現することにG7の支持を得た」

その後、歯止めがかからないパンデミックの流れに翻弄される中、日本政府は、感染拡大防止よりもオリンピック、そして経済を優先する特異な考え方をしていることが逆照射されていった。もちろん、この声明には、首相の任期中になんとかオリンピックを実現したいという彼の個人的欲望がにじみ出ているが(それは結果としてウイルス・リスクの過小評価にもつながった)、加えて、素朴でナイーブな「人間中心主義」の考え方が現れていることも指摘しておきたい。

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天然痘のように人間がウイルスを完全に根絶することは例外で、人を死に至らしめるウイルスはしばしば治療薬に対して薬剤耐性をもつ形で変異するし、また多くのウイルスは自らの存続戦略を巧みに発揮しながら人間に寄生する形で共生しており*1、中には新型コロナのように巧みに不顕性感染(ステルス)の形をとりながら感染拡大をはかる厄介なウイルスもある。

このように人間などの宿主に寄生しつつ巧妙に存続し続ける、生物と非生物の境界にあるウイルスに対して、人間は思いのままにできる絶対的な主権的権力を未だ確立していない。そのことを忘れて、ウイルスに打ち勝つと言い切るような考え方を、ここではナイーブな人間中心主義(anthropocenrism)と呼んでいる。

まずは、そうしたナイーブな人間中心主義、その延長線上にある自分中心主義が、コロナウイルス危機の問題と、どのように絡み合っているかを見ていきたい。

 

グローバリゼーションとパンデミック

現代は、「人新世(じんしんせい・anthropocene)」と言われる。人間の活動が地球環境に対して不可逆的で重大な影響を与えるようになった時代のことだが、この時代の危機を、「人間と人間以外のものとの関係が人間社会内の権力関係と、どのように相互連関しているのか」という観点から考察していくと、人間中心主義という「種差別主義(speceisism)」、そしてそれと連関する様々な差別主義が危機の根底にあることに気がつく*2

新型コロナ・ウイルスの感染拡大危機もまた、人間中心主義を基軸とするネオリベラル・グローバリゼーションの意図せざる逆説的な帰結であることはおさえておく必要があろう。経済的利益を求め、世界各地で開発に邁進するグローバリゼーションはどのように感染症の拡大をもたらしたか。以下その経緯を振り返ろう。