3.11 釜石で被災した9歳の少女が復興の中で抱いてきた熱き思い

私には自分の言葉で伝えたいことがある
大友 信彦 プロフィール

世界の人々に感謝を伝えたい

中学1年の終わり、釜石でのワールドカップ開催が決まった。

釜石に昔、強いラグビーチームがあったのは知っていた。でも、ラグビーを見たことはなかったし、やったこともなかった。鵜住居小の同級生には、ラグビーをしている子もいなかったような気がする。震災のあと、いろいろなラグビーチームが釜石に来てくれたけれど、留伊の生活とは重ならなかった。

 

だからラグビーとの出会いは中1の終わり、ワールドカップ開催決定の日からだ。

ラグビーワールドカップという大きな大会が釜石に来る。

「世界の人たちに感謝を伝えるチャンスが来た」

留伊がまっさきに思ったのはそのことだった。

「それまで、日本の国内の方々には、感謝の手紙をみんなで書いたりしてたんです。でも、世界の人たちへメッセージを送る機会はなかなかなくて。そう思っていたときに、ワールドカップが決まったんです」

釜石が世界から注目される。世界の人たちが釜石にやってくる。あと4年後、震災から8年経って、復興した姿を世界の人たちに見せることができる。9歳で震災を経験し、避難所と仮設校舎で少女時代を過ごした13歳に、目標ができた。

中2になると、「ロータリークラブが、ワールドカップに向けた国際交流活動に参加する中学生を募集しているよ」と母が教えてくれた。留伊は迷わず応募した。

面接を経て、派遣される6人に選ばれた留伊は、中2の秋、2015年ラグビーワールドカップ・イングランド大会の視察に出かけた。初めて見たラグビーの試合は、日本代表とスコットランド代表の試合だった。

留伊が初めて見たラグビー試合は、2015年ワール ドカップの日本対スコットランド戦だった

その直前、日本代表はワールドカップの初戦で優勝候補の一角にあげられていた強敵・南アフリカ代表を破る歴史的な勝利をあげていた。

「なんだか、すごいことになっている」

ラグビーのことはよく知らない留伊にもそれはわかった。

初めて見たラグビーの試合に、残念ながら日本代表は敗れてしまった。だけど、留伊は試合の勝ち負けよりも違う光景が印象に残った。

試合中も試合後も、応援するチームの垣根を越えて、ファン同士が互いをたたえていた。試合が終わると、いろいろな国のジャージーを着た人たちが握手を求めてきて、日本チームをたたえてくれた。留伊の周りで試合を観ていた人たちは、誰もが自然に、席の周りのゴミを拾っていた。

特に響いたのは、何人もの人から受けた言葉だった。

「津波は大丈夫だったの?」

私の家は流されました。でも、家族はみな無事でした。世界のみなさんからのご支援をいただいて、私も学校へ通えたし、釜石も復興できました。4年後はみなさんをお待ちしています――留伊は頑張って覚えた英語で感謝を伝えた。

震災から4年半、日本でも震災は風化し始めていると留伊は感じていた。外国の人たちがそんなに震災を忘れずにいてくれることは驚きであり、喜びだった。

「4年後は自分が、釜石で、世界のみなさんを迎えて恩返しをして、感謝を伝えなければ……そういう使命感を強く覚えました」

それから、留伊の生活の中で、ラグビーの占める位置はどんどん大きくなった。